2025/11/14

とちのみ

『本の雑誌』十二月号「特集 オモロイ純文運動!」のアンケートに答えた。三冊の選書中、小説はマジメ、随筆はオモロイみたいなパターンについても考えたが、結局、好きな作家の好きな作品を選んだ。

 火曜日夕方、東高円寺へ。桃園川緑道、ニコニコロード経由蚕糸の森公園。蚕糸の森公園の芝生の上を歩く。樹木も多く池もある。いい公園だ。モミジやイチョウの葉の色づきは日当たりや寒暖差が関係している。

 そのあと三徳新中野店、ピザトースト、武蔵野うどん(生麺)など。

 東高円寺を頻繁に散歩するようになったのはコロナ渦以降である。ニコニコロードのオオゼキ東高円寺店が閉店して二年ちょっと、文房具をよく買っていたコモ・バリエという百円ショップが閉店したのもそのころか、そのすこし前か。

 高円寺の馬橋公園、中野の四季の森公園もよく散歩する。どちらの公園も芝生あり。

 馬橋公園から斜めの道を歩いて阿佐ケ谷方面に向かい、けやき公園(屋上)、それから桃園川緑道を通って高円寺に帰るのもお気に入りのコースだ。散歩のときは体重が足の裏全体にかかる底が平らの靴を愛用している。芝生や土の上を歩くと心地よい。

 水曜日夕方、駅前の高野青果で「そい」の刺身が値引していたので買う。茶処つきじでほうじ茶を買う。

 吉村冬彦著『橡の實』(小山書店、一九三六年)を読んでいたら、「植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である」「いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平凡なやうであるが長生きの道はやはりこれ以外にないやうである」(昭和十年十月十一日)とあった。橡の實は「とちのみ」と読む。わたしは「くぬぎのみ」かとおもっていた。

 この本は没後刊行。吉村冬彦(寺田寅彦)は一九三五(昭和十)年十二月三十一日に亡くなった。享年五十七。「適当に貧乏しながら適当に働く」はいい言葉だ。寺田寅彦は病弱だったにもかかわらず、多趣味かつワーカホリック気味だった。あと貧乏じゃなかった。「適当に」は願望だろう。

 わたしはまもなく五十六歳。三、四十代のころはずっと先のことだとおもっていた還暦が近づいてきた。昔、公園で日向ぼっこしているおじいさんを見て「何を考えているのだろう」とおもったことがある。たぶんたいしたことは考えていない。

2025/11/10

出家が旅

 気がつくと十一月に入って十日。毎日、西部古書会館の均一祭で買った本や図録を読んでいる。日々の読書や経験が自分の中に定着していく手応えがない。ずっとひまつぶしをしている感じだ。

 十一月七日(金)、午前中、横浜。ひさしぶりに黒のスーツ、黒のネクタイ、黒い靴で出かけた。
 新宿駅から湘南新宿ラインに乗る。武蔵小杉駅から新川崎駅の間、雪のかかった富士山を見る。新川崎駅の場所をよくわかってなかった。新川崎駅は南武線の鹿島田駅が近い。鹿島田駅から川崎駅までは三駅あるので歩くと一時間近くかかりそう。新川崎駅の近くは府中街道が通っている。
 夕方、高円寺に帰る。

 十一月八日(土)、昼すぎ、西部古書会館。今週も均一祭だった。『古地図にみる世界と日本』(神戸市立博物館、一九八三年)、富士正晴著『西行 出家が旅(日本の旅人3)』(淡交社、一九七三年)など。神戸市立博物館の古地図関係の図録は充実している。
 神戸に行きたくなる。行くなら二泊くらいしたい。

 富士正晴著『西行』は二〇一九年に同じく淡交社から復刻版も出ている。
 一九七三年版の『西行 出家が旅』のカバー「日本図屏風」は南波松太郎蔵。南波氏は日本屈指の古地図収集家でそのコレクションは神戸市立博物館にある。たまたま買った二冊がそんなふうにつながっている。『古地図にみる世界と日本』で南波松太郎は「地図皿と器物に描かれた地図のいろいろ」という文章を書いている。江戸後期、伊万里焼などの日本図が作られていた。櫛や印籠に描かれた地図もある。地図=紙とは限らない。

 日本の旅人(全十五巻)シリーズは更科源蔵著『松浦武四郎 蝦夷への照射』もよかった。他にも何冊か家にあるはず。

 富士正晴の『西行』を読んでいたら「出家の周辺」にこんな一節があった。

《当時の出家ばやりだったといってよい。
 出家とは現世の規則をいとうて、仏門に入るということだろう。これは原則みたいなものだ。だが、原則があれば、それの応用もある》

 その応用の一つが院政、もう一つが聖(ひじり)になること。仏法に帰すことで自由な身となる。

《志を得ないものにとってこれほどいいことはない》

《しかも、天下を、関所などの通行も自由で、仏を背に悠々と往来できるのである》

 富士正晴の西行論は「旅人」としての考察が中心である。西行の伊勢信仰にも言及している。

 一九七三年版『西行』は巻末の年表も富士正晴の作。二〇一九年版『西行』の年表は著者作成の年表に歴史学研究会編『日本史年表』(岩波書店)、和歌山県立博物館編『特別展 西行』図録などを参考に作成した——とのこと。『特別展 西行』図録も気になる。

 富士正晴は西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」について、「六十九歳の老人がうたった歌としてたいへん美しい」と感想を述べている。わたしが西行に興味を持つようになったのもこの歌がきっかけだ。

 西行と富士正晴は七十三歳で亡くなっている。

2025/11/03

コタツメモ

 十月二十八日(火)、コタツ布団を出す(カバーは前日洗った)。昨年は十一月九日にコタツ布団を出した。今年は十日ほど早い。疲れと寒さに抗わない人生を送りたい。ガマンよくない。
 衣類に関してはざっくり夏用、春秋用、冬用と分けているが、春秋用を着る期間が年々短くなっている気がする。

 週末また雨。神保町の古本まつりに行く予定だったが、駅に向かう途中、小雨が降ってきたので引き返す(雨に弱い靴を履いていた)。「今日はもういいや」と気が変わる。大和町の仕事部屋に寄り、妙正寺川を歩く。川まで十分くらい。若宮あたりまで。

 冬が来る。寒くなる。日照時間も短くなる。夏と秋は夜の散歩が多かったが、冬の間はなるべく陽が出ている時間帯に歩きたい。晴れの日一万歩、雨の日五千歩。何が何でも……というほどの目標ではないが、達成できた日は気分がいい。

 蓮華寺、馬橋公園は紅葉がはじまっている。大和北公園のイチョウは十二月くらいか。年々、川と樹木が好きになっている。

 十一月一日(土)、午後二時すぎ、西部古書会館。均一祭。初日(全品二百円)は図録を買う。『竹内栖鳳展』(朝日新聞社、一九七九年)、『特別展 やまと絵 雅の系譜』(東京国立博物館、一九九三年)、『大写楽展』(東武美術館、一九九五年)、沢田正春著『木曽街道』(木耳社、一九六七年)など。

 文章と音楽は好き嫌いがはっきりしているが、絵の好みはまだ定まっていない。美術館は数えられるくらいしか行ったことがない。街道関係の絵から何人か「いいな」とおもった画家がいるが、惚れ込むところまではいっていない。絵や写真を見ていると、いい気分転換になる。地図もそう。

 二日(日)、三日(祝)も西部古書会館。二日目全品百円、三日目全品五十円。街道関係資料、文学展パンフ、魚や植物の本を買う。たぶん積読になるだろう。

 三日目一冊五十円の棚の本を見る。仕事の資料以外でも何かしらの取捨選択で本を選んでいる。未知の領域をすこし広げたい——そういう前向な気持が自分の中に残っていることに気づく。

 疲れがとれず、やる気がでない。それでも続けられること。自分にとって散歩と読書がそういうものになっている。

 惰性といえば惰性だが、惰性を身につけてよかったとおもえる。どれだけとっ散らかっても、いつかは自分の中でつながる。年をとる楽しみかな。

 大リーグのワールドシリーズ、第六戦も第七戦もすごい試合だった。ちょっとした運で勝敗が分かれた。

 最近、インターネットで本を買ってないのでアマゾンプライムを解約しようとおもっていた。解約しなくてよかった。