十二月八日(月)、起きたら午後四時。大和町の仕事場に行き、早稲田通りを散歩。中野区立野方一丁目公園に寄る。中野区制五十周年記念樹を見る。最近までこの公園の名前を知らなかった。
大和町、野方は高円寺の隣町なのだが、まだまだ歩いていない場所が残っている。
ブックファースト中野店で新刊本を一冊。中野駅方面に向かい、中野レンガ坂のイルミネーションを見る。
ブックファースト中野店の前のあおい書店中野店は二〇一七年九月閉店。つい最近のことのようにおもえる。
先週の西部古書会館で買った荒畑寒村、向坂逸郎著『うめ草すて石』(至誠堂、一九六二年)を読む。同書は新装版(一九八二年)も出ている。埋草捨石——新聞雑誌の穴埋め記事のこと。同書は対談なのだが、文頭に発言者の名前がなく、途中からページを開くとどちらが喋っているのかわからず戸惑う。
たとえば「安成貞雄、二郎」のところ(質問者・向坂)はこんな感じ——。
《安成二郎さんってあるでしょう?
ええ、あれは貞雄の弟です。
安成さんは子供さんはあったんですか?
貞雄にはありません。
では細君は?
細君もなかったです。
じゃ二郎さんは?
二郎君は子供が幾人もあります。
これも歌人ですか。
小説なども書いてますが、本領はやはり歌ですね。例の「豊葦原、瑞穂の国に生まれきて、米が食えぬとはうそのよな話」という歌と、「言霊のさきはふ国に生まれきて、物がいえぬとはうそのような話」という歌は、ともに有名なものです。それからこういうのもある。「父となりし、まぬがれ難きあやまちと、夫となりし、おろかなあやまち」(爆笑)》
安成二郎のことを「自分のむすこの家で孫の守りをして、まあ楽隠居の身の上です」(寒村の言)とも。
さらに寒村はこんな安成二郎の逸話も語っている。
《終戦後にどっかの雑誌から、あなたはどういう世の中になったらよいと思いますかというアンケートが来たら、安成二郎いわく「いまのままが一番よい」(笑声)》
安成二郎は阿佐ケ谷に暮らし、「阿佐ヶ谷将棋会」のメンバーでもあった。一八八六年九月秋田生まれ。一九七四年四月没。享年八十七。
『うめ草すて石』の「石川三四郎と守田有秋」では、石川がフランスに行ってエリゼ・ルクリュの孫のところで世話になったことがきっかけでアナキストになった——という話が出てくる。
《石川君のアナーキズムは、非常に精神主義の色彩が強い。どっちかというと、ターナーなんかの個人的な人格を作り上げるというような、ごく温和なアナーキズムなんですね》
ルクリュは地理学者。ロシアのアナキストのクロポトキンも地理学者だった。
石川三四郎の温和なアナーキズムは新居格、秋山清に受け継がれている。