2019/04/25

香川にて

 土曜日、新幹線で新神戸に行き、三ノ宮からジャンボフェリーで高松へ。ジャンボフェリー、値上げしていた。船旅、楽しい。桟敷席でごろごろしているうちに、港に着く。船で港に到着すると「旅をした」という気分になる。まったく疲れない。
 高松は行くたびに好きになる。人も空間もどことなくゆったりしている。季候もいい。
 玉藻公園に寄って、琴電で仏生山。仏生山温泉に入る。
 翌日、丸亀の金毘羅街道、琴平界隈を歩く。丸亀に行くのは、はじめてだった。骨付き鶏をはじめて食べる。金毘羅街道、素晴らしい。古い建物がたくさん残っていて、あちこちに灯籠がある。

 夜、本屋ルヌガンガで『些末事研究』を発行している福田賢治さんとトークショー。福田さんに難しい質問を連発され、答えに窮す。
「なぜ書くのか」という話になったのだが、自分でもわからないのだ。昔から書かないと頭の中だけで考え続けることができなかった。
「読者を意識するか」という質問もむずかしく、うまく答えられなかった。
 福田さんは同世代で『思想の科学』の最後のほうに関わっていて、当時はすれ違いだったのだが、鶴見俊輔さんの影響を多大に受けたという共通点がある。

 もともと福田さんは中央線沿線に住んでいて、高円寺の飲み屋で知り合ったのだが、四年ほど前に高松に移住している。
 イベント中、しどろもどろになっている時間が続いたが、最後のお客さんの質問で自分のいいたかったことがすこしいえた気がした。
 トークショーのあと、帰りの電車で読む本がほしくなり、橋本治著『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』(朝日新書)を買う。帯の「追悼 橋本治」の文字を見て、あらためて橋本さんの不在を痛感する。

 鶴見俊輔もそうだが、橋本治も百年、千年という大きな時間の幅の中でものを考えられる人だった。『鶴見俊輔対談集 未来におきたいものは』(晶文社)に鶴見さんと橋本さんの対談が収録されている。初出は『広告批評』の二〇〇二年一月号。

 打ち上げで酔っぱらう。終電がなくなり、瓦町から仏生山まで二時間ほどかけて歩いて帰る。LEDライトが役に立つ。
 翌日、JR高徳線で引田、それから徳島港に行き、南海フェリーで和歌山へ。フェリー+和歌山港〜なんばまで二千円の切符がある。大阪の梅田街道をすこし歩き、新大阪から新幹線で東京に帰る。