2019/04/04

ヒップとスクエア

 三月末、豊橋まで新幹線、あとは青春18きっぷであちこち寄りながら、京都へ。ホホホ座で橋本倫史さんの『ドライブイン探訪』(筑摩書房)のトークショー。
 本も素晴らしいが、取材の仕方もおもしろい。
 今、多くのライターは取材費に困っている。取材費を稼ぐために仕事をしているようなところがある。取材すればするほど赤字になる。
 トークショーのあと扉野良人さん宅に泊めてもらい(『些末事研究』の福田賢治さんもいっしょ)、翌日、メリーゴーランド京都店の古本市に寄り、三重に帰省する。

 途中、近鉄の青山町駅で途中下車し、初瀬街道を歩いたのだが、泣きたくなるほど寒かった。気温五、六度。しかも快晴の空が一転して雨。山の天気は目まぐるしく変わる。
 ここのところ、街道歩きは雨ばかりだ。
 郷里の家に二泊し、青春18きっぷで東京に帰る。

 旅行中も植草甚一の「ヒップ」と「スクエア」の問題を考え続けた。

《なにか楽しいゲームをやりましょう。仲間に入れてあげるけどルールはちゃんとまもっておくれ。そうしないとヒドイ目にあうぞ。これがスクエアの世界であって、みんながビクビクしながらリーダーのいいなりになっている。そこから制度が生まれ、政府や教会や保険会社や電話局ができあがった。そしてそういういろいろな施設がスクエアを保護し、そのなかで彼らは生活をエンジョイしている。
 だからヒップのほうでは、なんというつまらない生活だろう、と考えるようになるのだ》

「サブカル」と略される以前のサブカルチャーは、政治におけるスタンスだけでなく「世俗に染まらない」「多数派の価値観に順応しない」というスタンスもあった。
「ヒップ」は、ヒッピー、ヒップホップの語源でもある。

 今は「ヒップ」と「スクエア」といった対立軸そのものが曖昧になっている。「スクエア」の一員として安定した生活を送り、「ヒップ」なカルチャーを消費するのが「クール」……というのが皮肉にならないくらい時代風潮は変わってしまった。