今年のはじめあたり、西部古書会館で上方史蹟散策の会編『東高野街道』(上下巻、向陽書房、一九九〇年、九一年)を買って積ん読していた。向陽書房は関西の出版社で九〇年代に近畿地方の街道本を何冊か刊行している(今、集めている)。
『東高野街道』の書名——どこかで見た記憶があり、なんとなく重複買いしたかなと気になっていたのだが、後藤明生の『しんとく問答』(講談社、一九九五年)に何度か出てくる本だということを思い出した。
《私の荷物はショルダー一個である。中身はカロリーメイト、缶入りウーロン茶、地図帳(大阪府)、メモ帳、『東高野街道(上)』(編著・上方史蹟散策の会/平成二年九月/向陽書房)、「写ルンです」。「写ルンです」は普通サイズとパノラマの両方を持った。どちらもストロボ付きである。それに今回はエアーサロンパスを加えた。とつぜん起るかも知れない腓返りに備えてである》(「しんとく問答」)
妙に細かい。
ほぼ後藤明生とおもわれる作中の「私」は『東高野街道』の上巻を持って「俊徳丸鏡塚」を見に行く。『しんとく問答』の収録作は「単身赴任の初老の男が、大阪地図を片手にあちこち歩き回る話」(「贋俊徳道名所図会」)という設定の短篇集なのだが、表題「しんとく問答」は小説というより歴史紀行エッセイのような風味がある。
「私」は謡曲「弱法師」、説教節「信徳丸」などの舞台となった大阪の地を散策する。週三日俊徳道駅(JRおおさか東線、近鉄大阪線)の次の駅に停車する大学に通っている。おそらくその大学は近畿大学で、もより駅は近鉄の俊徳道駅の隣の長瀬駅である。一九八九年から後藤明生は近畿大学文芸学部で教えていて、九三年から同学部長になっている。
『しんとく問答』所収の「俊徳道」(『群像』一九九四年十月号)、「贋俊徳道名所図会」(『新潮』一九九五年一月号)、「しんとく問答」(一九九五年三月号)など、初出の時期から一九三二年四月生まれの後藤明生、六十二歳のころの作品である。「古典+街道」というテーマは今のわたしの関心事と重なる。
「初老」はもともと数え年四十二歳(満四十歳)の異称だったが、今の感覚だと還暦あたりを示すことが多い——と辞書の定義が変わってきている。
『しんとく問答』所収「十七枚の写真」は、大阪の中央区の宇野浩二文学碑、難波宮などの話で——講演用のノートみたいな作品。宇野浩二の文学碑は「中大江公園」にある。「清二郎 夢見る子」の一節が刻まれている。
わたしは高円寺、野方、鷺ノ宮あたりを転々と暮らした古木鐵太郎(元『改造』編集者)への興味から、宇野浩二の自伝や随筆を読みたいとおもいつつ、バラで集めるか全集で買うかで迷っているうちに時間が過ぎてしまった。