2024/12/29

絶対睡眠術

 年内の仕事も一段落。いろいろ疲れがたまっていたのか、ここ数日、日課の散歩は目標の歩数未満の日が続いた(それまではこの一年、晴れの日はだいたい一万歩以上歩いていた)。数字はあくまでも目標で、その日の体調によっては少なくてもいいという考えだ。怠けるときは柔軟に。「上に行くより、横になりたい」が、わがモットーである。

 やなせたかし著『天命つきるその日まで アンパンマン生みの親の老い案内』(アスキー新書、二〇一二年)を読む。同書の「最後の言葉」に「漫画家の手塚治虫氏は『仕事させてくれ』というのが最後の言葉だったと聞いている」とある。

《生前「ぼくはまだ描きたいことが山のようにある。作品のアイディアは分けてあげたいくらいあるが、体力が落ちてきて描けない」とぼくに嘆いた。そして「この頃マルが描けなくなった」と言った。手塚氏の言うマルはコンパスを使わず完全な円を描くことだ》

 さらっとすごい話が書いてある。手塚治虫のマルを描くではないが、読書にせよ、文章を書くことにせよ、自分の調子を測るバロメーターみたいなものがあるといいなとおもった。わたしの場合、体調に関してはコーヒーがうまいかどうかは判断材料のひとつにしている(ふだんは毎日何杯か飲むが、調子がよくないと飲めなくなる)。

 手塚治虫の話のすこしあと、やなせたかし自身の話になる。

《小心で怠け者で才能が薄いから人よりも長く生きるしかない。この世界でなんとかなったのは七十歳過ぎてからで、気がついてみれば先輩も後輩もほとんど姿を消していつの間にやら先頭集団の中にいた》

《小心だからギャンブルもしないし浪費することもない。質素な生活で十円には十円の幸福があると思っている。我ながら面白くない。しかしこのほうが気楽でぼくには暮らしやすかった》

「絶対睡眠術」というエッセイには「生まれついての怠け者で、朝寝して昼寝して夜も寝て、時々起きていねむりをするというくらい寝てばかりいる」と書いている。

《漫画家の水木しげる氏にもややその傾向がある》

 水木しげるは小学生のころ毎日朝寝坊し、一時間目の授業を休んでいた。

 やなせたかしの睡眠術は数字を数えることだった。「1・2・3」と数えていって、つっかえたり、間違えたりしたら、また「1」から数え直す。余計なことを考えず、頭を数字を数えることだけに専念する。それが眠るためのコツのようだ。瞑想(様々な方法があるが)と似ている。

 やなせたかしが亡くなったのは二〇一三年十月だから最晩年の本である。『アンパンマン』を描きはじめたのは五十代、アニメ化は一九八八年だから七十歳手前だ。詩人、童話作家、作詞家としては活躍していたから「才能が薄い」というのは謙遜だとおもうが、晩成型の人といっていいだろう。

 表題のエッセイでは、こんな希望を述べている。

《天命つきるその日まで、なるべく楽しくおだやかに過ごしたい》

2024/12/20

成長の罠 その三

 月曜、阿佐ケ谷散歩。南口のパールセンター商店街のしまむらで長袖のヒートテックもどきを買う。パールセンター、いつの間にかOSドラッグが開店していた。今年十一月一日にオープンしたようだ(インターネット調べ)。阿佐ケ谷のOSドラッグは、中野店や高円寺店より広く、洗剤などの種類も多い。夕方、けやき公園の屋上から新宿の夜景を見る。ドコモタワーも見える。

 水曜、神保町。澤口書店で『推理街道三十五年 松本清張展』(朝日新聞社、西武美術館、一九八五年)、一誠堂書店で『別冊かまくら春秋 特集 鎌倉文庫』(かまくら春秋社、一九八五年)を買う。『別冊かまくら春秋』の鎌倉文庫特集号は、はじめて見た。澤口書店の二階で温かいカフェオレを飲む(五百円以上買うとドリンクチケットがもらえる)。

 塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』(編集グループSURE)は二〇一三年刊。刊行から十年以上の時を経て、この本の中で何度となく語られている日本社会の問題がより明白になってきたようにおもう。

 欧米の先進国に追いつけ追い越せ期の日本はとても優秀だった。国内の消費も活発で、人口ピラミッドでいえば、老人が少なく、子どもが多い三角形だった。東西冷戦期に「平和」を享受できたことも大きい。

 一九六〇年代と今の日本の社会状況とはちがう。もはやキャッチアップ期のやり方は通用しない。教育の分野も同様である。

《先に言いましたように、日本はキャッチアップ期の人材養成は非常にうまくできた。キャッチアップ時の人材養成というのは、簡単に言うと底上げ教育です。身につけるべき能力は、早分かりの能力です。先進諸国の事例を見て、大きな方向性を決める。決めた後は、衆知を絞って、改善・改良に取り組む。そういう場合、みんなの水準が高いのがいいのです》

 日本よりも進んでいるとおもわれている他国の教育にしても、その国の上澄みのごく一部で国全体としてはそこまですごくないということもよくある。たとえば、日本の高校教育を視察にきた人が、大阪の履正社高校と大阪桐蔭高校の野球部を見て「日本の高校生はみんな野球がうまい」と錯覚するようなものだ。

 いまだに文化に関してもキャッチアップ期の影響が残っている。「遅れている」われわれは「進んでいる」海外(といってもごく一部)の人々の価値観を学ぶ必要がある——という考え方がそうだ。

 国際社会の先頭集団に属している国は、どこもかしこも五里霧中というか、わかりやすい目標のようなものはない。この世のどこかに正しい価値観やライフスタイルがあるというのは幻想にすぎない。トップに追随し続けるのもしんどいし、常に脱落の不安を抱えている。

(……もうすこし続ける)

2024/12/12

散歩メモ

 火曜、大和北公園。イチョウを見る。昨年も十二月十日前後に見ている。大和町八幡神社も寄る。地図で見ると、大和町八幡神社は早稲田通りと西武新宿線の野方駅の中間くらい。早稲田通りは大場(だいば)通りの名を残す(バス停にも「大場通り」がある)。

 しょっちゅう散歩しているおかげで野方はなじみの町になった。野方駅の北口の商店街がいい。買物で荷物が増えたり、雨が降ってきてもバスですぐ高円寺に帰れるのもいい。

 今年十月刊の平田俊子著『スバらしきバス』(ちくま文庫)を散歩中にすこしずつ読む。読んでいてくつろぐ。書店で表紙のバスの絵がいいなとおもって、手にとったらnakabanさんだった。単行本は幻戯書房(二〇一三年刊)。同書「成増におりません」は、吉祥寺から成増町行きの西武バスに乗る話。

《バスはますますせまい道に入り、踏切を渡った。西武新宿線の「上石神井」駅だ》

《やや広い道に出た。「富士街道」という表示がある》

 乗ったことのないバスに乗って、知らない道を通るとちょっとわくわくする。

  わたしは上京して最初の半年間、板橋区の下赤塚の寮(トイレ・台所共用)に住んでいた。下赤塚のこじんまりとした商店街はよかった。東武東上線の下赤塚駅の隣が成増駅。東上線は準急、急行、快速だと池袋駅の次の駅が成増駅で、下赤塚駅に止まらない。当時は成増が羨ましかった。

 下赤塚から高円寺に引っ越したのは一九八九年十月。かれこれ三十五年。月日が経つのは早い。

 練馬駅からも成増町行きのバスがある(西武バス)。途中、下赤塚も通るので、いつか乗りたいとおもっている。吉祥寺から成増町行きのバスも気になる。

 米の値上がり(今年の夏まで五キロ二千円くらいの米が三千五百円くらいになっている)。餅はどうなるか心配だったが、昨年とそんなに変わらない。というわけで、近所のスーパーで餅(丸餅)を三袋買う。米は白米に胚芽米(倍近く値段になった)や麦を混ぜて炊いているのだが、米の値上げ以降、麦の比率を増やした(麦は値段据え置き)。チャーハンやビビンバを作るとき、麦をすこし多めにしたほうがうまくできる……ような気がする。

 物価高といえば、コーヒー豆も値上がりした。これまで愛飲していた豆は値段が上がり、量も減っている。インスタントコーヒー(ネスカフェゴールドブレンド)の値段は特売だと以前と同じ値段で売っている。家ではインスタントコーヒーをよく飲む(とくに冬)。インスタントコーヒーも何種類かブレンドして、好みの味にする。インスタントコーヒー、奥が深い。

 水曜、神保町。夕方、東京メトロ東西線で高田馬場駅、そこから西武新宿線で野方駅に行き、肉のももち、肉のハナマサでいろいろ買物(肉、乾物、瓶入りのおろししょうがなど)する。

 仕事帰りに野方から高円寺に帰るのは人生初である。妙正寺川のでんでん橋を通る。野方と高円寺は近い。

2024/12/10

成長の罠 その二

 土曜、中野の四季の森公園でイチョウ、モミジを見て、中野ブロードウェイの地下で調味料(ラーメンのスープなど)、ライフでパンと惣菜を買う。
 仕事帰り、中野駅で降り、中野セントラルパーク、四季の森公園をよく通る。四季の森公園は春の夜桜もいい。

 塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』の「成功の罠」——日本のキャッチアップ期とトップランナー期について、本の内容から脱線するかもしれないが、続ける。

 日本の経済成長がめざましかったころと現在とでは社会状況がまったくちがう。
 わたしが生まれたころ(一九六九年)は、まだ一ドル三百六十円の時代で、工場の廃液は川や海に流し放題、煤煙も撒き散らし放題、労働環境も過酷だった。いわば、環境や健康を犠牲にして経済の発展に邁進していたわけだ。

 もちろん昔と比べて機械化が進み、生産力は格段に上がっている。でも上がっているのは、日本だけではない。トップランナー期に入ると、ちょっとくらいの技術の向上、改善では他国と差をつけられない。力はついているはずなのにおもうように結果が出ない状況が続いている。これも「成功の罠」といえるだろう。

『今よりマシな日本社会をどう作れるか』では、長引く不況の理由として、今の日本人の消費行動にも触れている。

《たとえば、高度成長期には「三種の神器」と言われた物があった。洗濯機、冷蔵庫、それにテレビ。その後の安定成長期には、車と、カラーテレビと、クーラーを買いたいという、「3C」の時代があった。
 もっと長い目で考えれば、「物」ばかりでなく、より良い教育を子どもに与えて、より豊かな生活を送りたい、それが多くの人たちの願いだった》

 だから当時の人たちは、よく働いたし、お金もつかった。

 今はどうか。一人の人間が飲み食いできる量は限られているし、ものを置くための場所もない。先月、我が家のテレビが壊れてしまったのだけど、今のところ、買い替えすらしていない(しばらく電源を抜いて放置していたら、いつの間にか直っていた)。
 昨今の異世界転生のファンタジーでも、勇者や英雄として活躍するのではなく、スローライフ志向というか、波風立てず穏やかに生きたいといった願望を持つ主人公が多い。このあたりは今の感覚を反映しているとおもう。

 塩沢さんは今の日本人は高所得者だけでなく、中間階層の人たちの「需要飽和」が近づいているとも分析している。さらに将来の不安ゆえ、遊興費につかえるお金があっても貯金してしまう。

 日本にかぎらず、先進国の多くは消費需要が停滞している。

 その要因の一つは「時間の制約」。今、働き盛りの人は長時間労働をしているため、ほとんど遊ぶ暇がない。つまり消費の機会がない。

《物であれば時間がなくても買うことができる。しかし、サービスとか、文化というか、そういうものだったらどうでしょうか。(中略)ライブに行くにも、本を読むにも、旅行に行くにも、食事をしてみんなで話をするという楽しみにも、全部時間がかかる。今、お金を一番稼いでいる人たちが、少なくとも週五日間はそういうことができないことになっているわけですね》

 世の中が豊かになり、最新の車や家電を手に入れたいという欲から、のんびりしたり遊んだりしたいという欲に変わってきた。たぶん、社会はまだその変化に追いついていない。

(……続く)

2024/12/04

成長の罠 その一

 十二月。本の運び出しなどで久々に筋肉痛になる。ようやく資料の整理もゴールが見えてきた。気疲れの要素のない単純作業を続けていると、ランナーズハイみたいな状態になる。

 付箋を貼ったまま行方不明になっていた本——塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』(編集グループSURE、二〇一三年)が見つかった。この本に「成功の罠」という言葉が出てくる。

 日本が欧米諸国を追いかける立場だったころは経済も活発だった。ところが、トップランナーの仲間入りした途端、長い低迷期に突入し、今に至る。

《キャッチアップの時代とトップランナーの時代とでは、本当は社会のあり方、教育、あらゆるものが変わらなければいけないはずだった》

 しかし日本は変わらなかった。変われなかった。

《経営学の世界ではよく「成功の罠」という言葉を使います。経営学では、この言葉は企業の経営方針について使うのですが、日本の場合は、経済全体が「成功の罠」に陥ってしまった》

 キャッチアップの時代からトップランナーの時代になっても、ずっと同じやり方を続けていれば、社会は低迷する。スポーツ、芸事などでも、素人のうちは、ちょっと練習すれば上達するが、レベルが上がるにつれ、そうもいかなくなる。それと似ている。

 経済学には古典派、新古典派など、いろいろな派がある。どの理論も一長一短というか、完璧なものはない。あらゆる政策が誰かにとってプラスになれば、マイナスになることもある。プラスマイナスゼロの人もいる。

 おそらく誰もが満足できるような理論はない(たとえば、わたしは累進課税に賛成だけど、富裕層の人たちは嫌がるだろう)。

 経済理論はやってみないとわからないことも多い。新しい理論を試して失敗するより、このままでいいという人が多数派を占める世の中であれば、優れたアイデアも実行に移すのは困難である。
 問題はまだまだある。少子高齢化と人口減少……。先進国の中で日本はこの問題に関してはトップランナーであり、まだ乗り越えた経験のある国がない。

 ただし、ものは考えようで、戦争や飢餓のない国は、かなり恵まれいるともいえる。世界を見れば、日本よりマシな社会のほうが少ない。少ないからこそ、成長のための方策がわからない。

……この話、もうすこし続けます。