2025/08/05

雑記

 月曜、夕方神保町。新刊書店を回る。小泉八雲の本が目立ちはじめる。秋からNHKの朝のドラマが放映されるようだ。八雲の人生論や読書論が復刊されたら読んでみたい。福原麟太郎の随筆にも八雲の名はちょくちょく出てきた。すずらん通りで神田伯剌西爾の竹内さんと会う。神保町の三省堂書店の近況を教えてもらう。そのまま店に行き、アイスコーヒーを飲む。

 このところ神保町に行くと帰りはだいたい四ツ谷駅まで歩く。夜、外濠付近は風が気持いい。建物が密集している場所より涼しく感じる。靖国通りの歩道を左右に行き来しつつ、東京タワー、スカイツリー、ドコモタワー、雪印の看板(たぶん午後八時ごろ消える)を見る。
 市ケ谷駅のすこし手前から新宿方面、屋上が波形で赤とか青とかに光っているビルが見える。ずっとこの建物の名前がわからなかったのだが、東急歌舞伎町タワー(二〇二三年四月開業)と判明した。高さは約二百二十五メートル。

 福原麟太郎著『天才について』(講談社文芸文庫、一九九〇年)を再読する。太平洋戦争末期、福原麟太郎は強制疎開で家を失いながらも、東京に残り、英文学の講義を続けていた。

《私は日本が敗けたら英語の教師など馬鹿馬鹿しくてやっていられないだろうと思っていた。然し敗けるまで、生きている限り、英文学を勉強していようと思っていた》(「猫」/『天才について』)

「猫」の初出は一九四八年一月。

 今年の夏、戦後八十年。わたしは散歩をしたり、冷房の効いた部屋で古本を読んでいる。平和を当たり前のように享受し、日頃はそのありがたみを忘れている。

『天才について』は『野方閑居の記』(新潮社、一九六四年)所収の随筆とも重なっているのだが、「或る土曜日」の中に「鉄道唱歌」で知られる詩人、国文学者の大和田建樹の話も出てくる。大和田建樹は「散歩唱歌」も作っていると知った。福原麟太郎は同氏を「確かに研究する価値のある人」と評している。

 同書の「古典と人間の知恵」というエッセイにこんな言葉がある。

《古典文学が自分の国にあるということは、たいしたことなのだ。そして古典を読む力を養っているということは、つまり人生の知恵を貴ぶことを知っており、その蓄積を楽しむゆとりがあることなのである》

 初出は一九六二年一月六日の東京新聞。

 千年昔にさかのぼれる自国の文学があるというのは、当たり前のことではない。

 老年の入口に立って、古典がだんだん好きになってきた。もともと中国の古典は好きで『菜根譚』はくりかえし読んでいる。わが人生でもっとも再読回数の多い古典だ。人生の知恵を学ぶというより、現実逃避の心地よさに浸りたくて読んでいるようなところもある。

 街道の研究を通して、昔の日本の風景、人の行き来を想像するようになった。
 旅先で旧道を歩いて句碑や歌碑を見つける。能因、西行、芭蕉の旅に思いをはせる。句や歌の意味はすぐにわからなくてもいい。遠い昔のことがすこし近くにおもえるだけでいい。