十九日(金)、昼前に一度目が覚めたのだが、二度寝したら午後五時。気温は二十二度。窓を全部開け、換気する。秋風ぞ吹く。栗入りの炊き込みご飯を作る。残った出汁でそばのつゆも作る。そばを茹で食べる分をよけ、冷凍する。山形県のみうら食品の乾麺(そば、中華麺)が好きで高円寺の徒歩圏内で見つけるとつい買い込んでしまう。
夜八時半くらいに東高円寺まで散歩。途中、高円寺南に歌舞伎町タワーが正面に見える路地を見つける。何度も通っているが、昼間歩いているときは気づかなかった。歩きながら高円寺周辺で東京スカイツリーとドコモタワーが見える道を探す。遠くが見えるということは風の通りもいい。
東高円寺から中野駅方面に向い、中野四季の森公園(中野セントラルパーク)を通り、ブックファーストで新書を買い、家に帰る。
帰り道の途中、環七付近で「HPSC南」と表示していたバスを見る。高円寺駅北口二十一時三十分発の赤羽車庫行のバス(国際興行バス)と知る。いつか乗ってみたい。
HPSCは「ハイパフォーマンススポーツセンター」の略。国立スポーツ科学センター、味の素フィールド西が丘などの施設を有している。それにしてもアルファベットの略語はおぼえにくい。
すこし前に西部古書会館で買った『文藝春秋デラックス』特集「万葉から啄木まで 日本名歌の旅」(一九七四年五月号)を読む。この号が創刊号(編集兼発行人は半藤一利)。「日本の名歌百五十首」の座談会(池田弥三郎、中西進、前川佐美雄、村野四郎、山本健吉)——各人の知識のすごさについていけない。古歌のよしあしを判読するための素養が足りない。とにかく最初のうちは読みまくるしかない。いろいと読んでいると(自分の中で)イメージが広がる歌とそうでない歌がある。
「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古念ほゆ」はかつての近江朝(大津京)を懐かしむ鎮魂の歌。柿本人麻呂(人麿)の作。
この座談会でも人麻呂の歌のどれを選ぶかで盛り上がっている。
《山本 〈淡海の海夕波千鳥……〉がいいじゃないですか。
中西 わたくしも〈淡海の海〉ですね。
池田 そうだ。〈淡海の海〉があった。あれがいい。
(中略)
前川 だれかが言っとったよ。〈淡海の海〉これ一首あれば、日本の国が亡びてもいいって。そう、横光利一だ。
村野 ほう? それはすごい》
ちなみに横光利一は小学生になったころ、大津に移り住み、生涯にわたり、琵琶湖を愛した。滋賀に縁のある人は、横光利一の「琵琶湖」というエッセイを読んでほしい(青空文庫で読めます)。
淡海(あはうみ、あふみ)が転じて、近江(おうみ)となった。また近淡海(ちかつおうみ)の異名もある。いずれも琵琶湖の古称である。
わたしは街道の研究をはじめて以来、琵琶湖の東岸から大垣あたりの道(中山道・美濃路)が好きになった。旧街道の雰囲気が残っているところも多く、歩いていて楽しい。地形もいい。