2025/09/25

源平物語絵

 一日中眠い。年に何回かそういう時期がある。今もそう。心身の修復期と考えている。神経痛の予防は休むか寝るかしかない。水分補給も欠かせない。
 五十半ばになると無理をしないための細かい工夫がいる。いかに余力を残すか。怠惰の言い訳におもうかもしれないが、その調整をしくじると長い低迷が待ち受けている。いっぽう休んでばかりだと体が鈍る。五年前、左肩が五十肩になったとき、しばらくの間、左腕をつかうことを避けていた。痛みが治ってきたころ、左手でフライパンを持ち上げることができず、料理をぶちまけそうになって焦った。
 体力を維持するには休息だけでなく適度な運動も必要なのだと痛感した。

 先週末の土曜日昼すぎ、西部古書会館。上方史蹟散策の会編『竹内街道』(向陽書房、一九八八年)を二百円。挟み込みの「竹内街道全図」付。ビニカバなし。向陽書房の街道シリーズの中で一番読みたかった本だ。飛鳥と難波を結ぶ竹内街道は「日本最古の官道」といわれている。

 この日、『源平物語絵セレクション』(神戸市立博物館、神戸市スポーツ教育公社、一九九七年)も買った。江戸後期から明治期の源平合戦に関する絵を収録。書き込み多し。鳥瞰図で有名な歌川貞秀の絵も入っていた。貞秀は一八〇七(文化四)年下総国布佐(現・千葉県我孫子市)の生まれ。地理好きで富士山にも登っている。清水吉康の『東海道パノラマ地図』は貞秀の影響を受けている。わたしは街道の研究を通して歌川貞秀を知った。浮世絵師は変わり者が多いのだが、貞秀もかなり偏屈な人だったようだ。

「源平物語絵」は川や海の戦いの絵がけっこうある。源平は海戦、戦国時代は攻城戦の印象が強い。

『南波松太郎氏収集 古地図の世界』(神戸市博物館、一九八三年)に「日本でも古来から『源氏物語絵巻』のように、ある高さから俯瞰した絵が書かれてきている」とある。「源平物語絵」も合戦を描いた屏風絵など、鳥瞰図っぽい絵がいくつかあった。
 鳥瞰図絵師の「目」がどうなっているのか知りたい。そういう研究はあるのだろうか。

『源平物語絵』の図録の年表は一一五三(仁平三)年、平忠盛が亡くなり、清盛が家督を継いだところからはじまっている。清盛三十四歳。清盛が太政大臣になるのが、一一六七(仁安二)年、四十八歳。このあたりが平氏の全盛期である。

 清盛と西行は一一一八(元永元)年生まれ。平安末の京は飢饉あり火事あり地震あり戦あり……災難続きだった。

 そうした背景を知ると都でそれなりの地位のあった人々が隠遁に憧れた気持もわからなくもない。隠遁するには財力も必要である。諸国を遊行するのも大変だった。

 仏教に興味がないが、旅がしたくて出家した僧もいたかもしれない。