十月二十三日(木)、急に気温が下がる(都心の最低気温十一度)。このところの睡眠時間のズレは季節の変わり目のせいだろう。
夕方からプロ野球ドラフト会議。真中満監督のガッツポーズ(勘違い)は十年前。ついこの間のことのようにおもえる。
テレビのドラフト番組がはじまる前に掛け布団のカバーを洗濯する。コートを外に干す。この秋初の長袖のヒートテック(っぽいシャツ)、腰に貼るカイロをつける。窓を開け、エアコンの暖房を試運転する。
最近のドラフト関連の記事で「天井が高い」という言葉を目にした。荒削りだけど、(うまく育てば)大化けしそうな選手といった意味だろうか。以前は「伸びしろ」という言葉がよく使われていた。いや、今もよく使う。
ドラフトの結果はすぐにはわからない。下位指名、育成契約の選手が予想以上に活躍することもある。
今年のペナントレースは本塁打数二十本以上がセ・リーグは五人、パ・リーグは四人、打率三割以上はセが二人、パは一人だった。防御率一点台の投手がセは二人、パは四人もいた。
ドラフト上位で野手を獲得する球団が増えたのは、投高打低の影響もあるかもしれない。僅差の試合が増えたことで打つだけでなく守備や走塁の価値も上がった。
翌日午後二時半、阿佐ケ谷散歩。馬橋稲荷神社に寄る。小雨が降り出す。駅南口の噴水広場で阿佐谷ジャズストリートをすこし見る。五人編成(クインテット)のバンドが演奏していた。八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷のちカルディ、帰りはガード下を通る。
家に帰って『娼家の灯/面影 川崎長太郎新聞連載随筆集』(講談社文芸文庫)読みはじめる。老いに関する自己省察が面白い。
「老居閑日」の一節——。
《晩飯後テレビを見る時間となるが、以前あんなに力のはいった、野球や角力が野蛮な、同じことの繰り返しみたいで段々つまらなくなった》
かつては面白く思えたことがつまらなくなる。これも老いの兆候か。一九七九年、神奈川新聞の連載。長太郎、七十七歳の記。
この先、わたしもそうなる予感がある。未知だった老人の感覚がすこしずつわかるようになってきた。
十年十五年前くらいの自分の文章を読み返すと、興味がとっ散らかっている。ただ、そのときどきの関心のカケラのようなものはずっと残っている。