2012/08/09

『文學界』のエセー

……『文學界』九月号に「『燒酎詩集』のこと」というエッセイ(エセー)で詩人・及川均について書きました。

《チュウのにおいは鼻をつき。
 ぼくら。めでたく。ここにこうしているだけなのだ。

 みたまえ。
 時空は漠たる一個の物体となり。

 みたまえ。
 アルコホルに漬かった臓物どもは歓喜して。

 焼鳥なども食いたがる。
 だいじょうぶ。小銭はまだあるはずだ。

 焼鳥もろとも。
 ここに。こうして。堪えるのだ。》(「焼鳥もろとも」抜粋/『燒酎詩集』日本未来派、一九五五年刊)

 富士正晴編『酒の詩集』(光文社カッパブックス、一九七三年)で、「焼鳥もろとも」という詩を読んで以来、ずっと気になっていたのだけど、及川均がどんな人なのか知らないままだった。
 ぼんやりとしかわからない詩人が、自分の中にいて、何かの拍子にこの詩をおもいだす。

《ぼくら。めでたく。ここにこうしているだけなのだ。》

 そんなふうにおもいながら酒が飲みたい。

2012/08/08

上山春平

……思想家の上山春平の訃報をF氏から知らされた。

 享年九十一。「戦中派」がまたひとりこの世を去った。

 上山春平は一九二一年生まれ。海軍予備士官として従軍し、「回天」特攻隊の生還者でもあった。

 わたしは大学時代に『大東亜戦争の意味 現代史分析の視点』(中央公論社、一九六四年刊)を読んだ。久しぶりに頁をひらいてみたら、鉛筆の線引だらけだった。

《私はやはり、あの戦争は侵略戦争であり、その目的は完全な失敗に終わったと見るべきだと思う》

《白人によるアジア人の支配は植民地化であるがアジア人によるアジア人の支配は植民地解放である、とでもいった考えを前提にせぬかぎり、明治以降の日本の膨張過程を植民地解放の過程とみなすことは困難であり、その侵略行為を解放戦争とみることは不可能である》

《私は大東亜戦争を解放戦争ではなく侵略戦争であると考える立場から、錯誤のうえにたつ誇りよりは、過ちは過ちとして認める誠意と過去の過ちから学んで新しい生き方を見いだす勇気とを、むしろ尊重したい》

 大東亜戦争にたいする考え方や立場はいろいろある。当然「侵略戦争ではなかった」という意見の人もいる。
 上山春平は、かつての戦争が正しいかどうかということよりも、従来の思考の枠組(尺度)自体を変えることを『大東亜戦争の意味』で提唱した。

《私たち日本国民の大多数がかつて支持した「大東亜戦争」史観も、それを裁く側に立ったもろもろの史観も、つぎつぎに絶対性を失って、相対化されてきた。私たちは、この体験を大切にしなければならないと思う》

 そうしたもろもろの史観は、特定の国家権力と結びついている。国家の利害で価値尺度を作っている以上、歴史認識としては不十分なものにしかなりえない。

《要するに、地球上における特定の地域の特定の人間集団の利害を絶対のものとする主権国家の価値尺度は、人類共通の価値尺度とは相容れないのである。しかし、いまや、人類は、国家的尺度を人類的尺度に従属させなければ、その種族の存続をはかりえない地点にまで到達している》

「人類共通の価値尺度」や「人類的尺度」で歴史を考えること。今でもむずかしい課題である。

「補論 大東亜戦争と憲法九条——佐藤功氏との対談」で、上山春平は日本国憲法について、次のように語っている。

《あの憲法には平和にたいする人類の熱望が反映されているように思います。憲法制定議会は、憲法を自分の力で最終的に決定する権限はあたえられていなかった。対日戦に参加した連合諸国の代表からなる日本管理機構の承認を得なければならなかった。したがって、あの憲法は、一種の国際契約だと思います。こうした憲法というものは、かつてなかったのではないでしょうか。そういった意味で、これはまったく新しい形態の憲法だと思います。これは、単独の国家主権の発動によって成立したのではありません。複数の主権国家の協力によってつくられた国際契約なのです》

「日本国憲法は戦勝国に押しつけられた」というような意見もある。しかし「主権国家の価値尺度」で作られたかつての憲法よりも、はるかに「人類共通の価値尺度」に近いものだと上山春平は考えていた。
 無条件降伏の帰結として作られた憲法かもしれないが、「平和にたいする人類の熱望」という「人類的尺度」の精神がそこにある。

 ここ数年、「戦中派」の思想家、作家、詩人がどんどんいなくなってしまっていることにわたしは危機感をおぼえている。
 でも一古本好きとして、伝えられることを伝えていきたい。その継承の役割を担わなければならないとおもっている。

2012/08/02

もらい泣き

……例年、八月下旬くらいから秋の花粉症になるのだけど、昨日から鼻がむずむずする。目もかゆい。

 先週末に静岡に行ったときに、急にくしゃみが出るようになって、「ひょっとしたら」とおもったら、やっぱりそうだった。
 昨年のブログを見たら、八月九日に「例年よりすこし早い秋花粉」とある。

 それでも昔と比べたら、ずいぶん楽になった。原因がわからなかったころは、一ヶ月以上、ずっと調子がわるかった。今は漢方(小青龍湯)で症状を抑えている。

 コクテイル、ペリカン時代をハシゴして、深夜から朝にかけて、冲方丁著『もらい泣き』(集英社)を読む。
『小説すばる』で連載していたとき、いつも真っ先に読んでいた。本好きの知人にも「今、いちばん面白い連載だ」と吹聴しまくり、単行本になるのを待ちわびていた。
 人から聞いた「いい話」や「とっておきの話」を元にしたコラム集で、おそらくニュージャーナリズムの手法で書かれている。
「ボブ・グリーンみたいな」と説明したくなるけど、もうすこし繊細かもしれない。「世の中、きれいごとではやっていけない」といっても、「じゃあ、どうするの?」の先はなく、ひねくれるか、斜にかまえるか、揚げ足をとるかばっかりで気が滅入る。
 だからこそ「世の中、捨てたもんじゃないよ」といい続ける人が必要になる。
『もらい泣き』を読んでいると、その役目を作者がものすごく迷いながら引き受けたかんじが伝わってくる。
 とくにある日を境に連載のトーンが変わった。でも「世の中、捨てたもんじゃないよ」の部分は一貫している。

《このコラムの雑誌連載中に、東日本大震災が起こった。
 福島県に住居を兼ねた仕事場がある私は、もろにその影響を受けた。生活の面でも、執筆の面でも》(二〇一一年三月十一日について)

「ノブレス・オブリージュ」、「インドと豆腐」、「盟友トルコ」、「空へ」、「地球生まれのあなたへ」など、震災後に書かれたコラムは、抑えた筆致ながら、ある種の「祈り」がこめられているとおもった。
 その「祈り」は、怒りや悲しみから自分を立て直すための言葉といってもいい。

 この先、何度も読み返す本になるだろう。