毎日のように酒を飲んでいるわけだが、いつごろから酒についてかんがえなくなったのか。飲み屋に行って酒を注文するとき、ウイスキーがあればウイスキー、なければ焼酎、銘柄なんでもよし、人の家では出された酒はなんでも飲む。いつの間にかそんなふうになってしまった。
どこそこのなんたらという地酒がうまいだ、幻の焼酎だ、ワインの何年ものだ、そういう知識がまったくない。
一九八〇年ごろの久保田二郎のコラムを読んでいたら、アメリカのビールでいえば、「バドワイザー」と「シュリッツ」とか、ドイツなら「ホルステン」と「ヘニンガー」と「ローエンブロイ」とか、そんなことが書いてあった。
ほかにも「ジャック・ダニエルズ」はバーボンではなく、テネシー・ウイスキーと呼んでいただきたいといった軽い啓蒙がちょっと新鮮だった。まだそういう知識が世の中にそんなに普及していなくて、当時は雑文のネタになったのだなあと。今なら飲み屋で、そういうことをいうと笑われるということを教えなくてはいけない。
(……以下、『古本暮らし』晶文社所収)