ブックマーク・ナゴヤに向けて、古本のパラフィンがけ、値付をはじめる。
この本は外市、この本は火星の庭かなあ、と勘で選り分けながらの作業。値段も勘。売るかどうか迷っている本は、心なしか値段がちょっと高くなる。そして引っ込める。衝動買いではなく、衝動売りというのもあるんですね。
パラフィン紙がなくなったので、阿佐ケ谷の文房具屋に行く。百枚買う。
そのあと荻窪まで歩く。ささま書店に寄って、タウンセブンで焼さば寿司。
CDデッキが壊れた。これで何台目か。中古のアンプは健在なのに、CDデッキはすぐ壊れる。こんなにすぐ壊れるんだったら、安いのでいいやとおもい、三千円ちょっとのポータブルCDをオリンピックで買ってきてアンプにつなぐ。
新しいCDデッキの音を確認するときは、かならずスティーリー・ダンの「Aja」をかけるのだが、んん? なんかちがう。音が、ぬるい。
CD一枚分くらいの値段のポータブルプレーヤーだから、贅沢はいえない。やっぱり、ちゃんとしたデッキを買おうとおもう。
安物買いの銭失いか。うむ。
《ぼくに困ることがなくなったら、詩なぞ書かなくなるだろう。そんなとき、嫌味なぼくができあがるだろう》(菅原克己著『詩の鉛筆手帖』土曜美術社)
菅原克己は室生犀星の初期の詩を読んで詩作をはじめたという。
菅原克己は宮城県出身。
亘理郡亘理町。仙台からやや南、阿武隈川のそば。三歳のときに仙台に引っ越している。菅原克己の詩の「ブラザー軒」はいまも仙台にある。まだ行ったことはない。
《東一番丁、
ブラザー軒。
たなばなの夜
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。》
子どものころ、菅原克己は七夕の季節(旧暦かな?)になると、家族そろって、仙台の東一番町に出かけたそうだ。