一月三十一日の夜から京都へ。電車の中で、坂口安吾の『風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇』(岩波文庫)を読む。ほとんどの登場人物が実名で出てくる。
七北数人編の年譜も充実していて、読みごたえがあった。
ちょうど京都行の新幹線の中で読んだこともあって、一九三二年、安吾、二十六歳のときのこんな記述が気になった。
《三月初め頃から約一カ月、京都へ旅行。河上徹太郎の紹介で京大仏文科卒業まぎわの大岡昇平を訪ね、大岡の世話で独文科の加藤英倫が住む左京区八瀬黒谷門前のアパートに部屋を借りる》
そのあと安吾は詩人から小説家になることに決めたそうだ。
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京都では徳正寺でおこなわれた辻潤の書画十数点の撮影に立ちあうことになった。岡山から友人のカメラマンの藤井豊君も大きな機材を持ってやってくる。
扉野良人さんが上京したときに、たまたま藤井君もうちに来ていて、それからいろいろあって、今回の話になった。
前にも書いたかもしれないけど、扉野さんと知りあったのも辻潤が縁だった。
ある編集者に「辻潤のことが好きな学生がいるんだけど」と紹介してもらい、高円寺の飲み屋で会った。
藤井君も、学生時代からの友人のライターが自分の同級生に岡山で写真をとっているおもしろいやつがいるという話を聞いて、上京をすすめたら、その数日後、いきなり鞄ひとつで東京にやってきて、そのまま高円寺に住み着いてしまった。
今は岡山で宅配便の仕事をしながら、写真を撮っている。
掛け軸の撮影中、虚無思想研究会の大月健さん、久保田一さんにいろいろ解説してもらいながら、書画のほか、めずらしい資料をたくせん見せていただいた。
日曜日の夜は、元田中のザンパノ。「浮田要三選 青谷学園/ふゆてん 人間の基本を訴える作品群」というイベント。カリキリンと名古屋のバンド、Jaaja(ジャージャ)のライブ。
カリキリンは童詩雑誌『きりん』の詩に曲をつけてうたうという薄花葉っぱの下村よう子さんと宮田あずみさんのユニット。
ジャージャをみるのは、はじめてだった。手づくりのかぶりものをかぶって登場、ヨーロッパの民謡風のカラフルな音、詩とちょっと情けないかんじの声(非常に好み)がすごく合っているなあとおもった。
メンバーは音楽活動だけでなく、同じ名前で喫茶店経営、雑貨の制作、販売もしているとのこと。
日中ぶっとおしの撮影で疲れていた藤井君も急に元気になってステージ最前列で写真を撮りまくっていた。打ち上げにも参加。ザンパノの料理、うまかった。
そのあとザンパノのちかくのたこ焼屋でたこ焼を注文。すこし時間がかかるというので、扉野さんの案内ですぐ隣の中華料理屋でビールを飲んだ。
翌日、また撮影。
この書画の写真は、扉野良人さんの作っている『ドノゴトンカ』の創刊号に掲載される予定です。
詳細がわかりしだい、また報告します。