飲みすぎた。
次の日、BOOKONNの中嶋大介さんが、大阪に帰るというので、コクテイルで神田伯剌西爾の竹内さんと三人で飲む。そのあと部屋飲み。いっしょに「あらびき団」を見る。竹内さんはガリガリガリクソンが好きらしい。わたしは東野幸治のファン。
飲んでいるうちに寝てしまった。二日酔いにはならなかった。楽しい酒だったからだろう。
夕方、新宿の紀伊国屋書店、ジュンク堂に寄ってから、仕事に行く。
必要な資料があったので大手町の丸善に行く。むしょうに博多うどんが食いたくなり、東京駅の地下街へ。八重洲地下街、うどん屋がけっこう多いのだ。
その帰り、R.S.Booksに寄ると、見たい棚の前でなかなか動かない若者がいて、「うーん、邪魔だなあ」とおもっていたら中嶋さんだった。新幹線の時間までちょっと時間があったからのぞいていたらしい。
木山捷平の『苦いお茶』(新潮社、一九六三年刊)があって、函の畦地梅太郎の装丁の絵(丸いテーブルにコーヒーカップとカバンが置いてある)がよくて「二千円くらいならほしいなあ」とおもいながら表紙裏を見たらピタリ賞だった。
ぱっとひらいた頁には「難航苦行みたいな二十時間がすぎて、東京駅に到着すると、私は気違いみたいに便所にとびこみ、それから中央線にのりかえて、高円寺に向かった」という文章が書いてあった。
「竹の花筒」という短篇小説の一節。戦後しばらくして、帰省先の岡山から、東京に向かう。すでに高円寺の下宿は焼けていたが、それでも東京に行きたくてしかたがない。まだ切符をとるのが、難しい時代だった。
《そうして二年三カ月ぶり、高円寺駅の改札口をぬけ、駅から二分のもとの住居の、いまは芽が二三寸のびた麦畑の霜柱を感慨こめて眺めた。その足で同じ町内ながら戦災をまぬがれた菅井家をたずね、一週間ばかりお世話になったのである》
それから西荻窪の古道具屋をまわったり、井の頭公園を散歩したりする場面も出てくる。
また『苦いお茶』には「市外」という小説もある。
神楽坂に原稿用紙を買いに行き、池袋まで歩く。その途中、木山捷平がはじめて上京したころ住んだ町があるという。
《私が間借りしていたところは雑司ケ谷という地名で、葉書や手紙に、芥川龍之介が「東京市外田端」と書くのと同じように「東京市外雑司ケ谷」と書いて出すと、何となくそれがハイカラに感じられた》
しかし木山捷平の父親はかならず「東京府北豊島郡高田町雑司ケ谷」と書いて手紙をよこしたそうだ。
池袋往来座の瀬戸さん、知ってましたか? 「市外」(今、気づいたけど、「外市」みたいだ)は講談社文芸文庫の『白兎 苦いお茶 無門庵』にも収録されている。
大手町から三鷹直通の東西線に乗る。音羽館に行きたくなり、高円寺で降りず、西荻窪へ。音羽館にむかう途中、晶文社のMさん(まもなく刊行予定の浅生ハルミンさんの本の担当者)に道でばったり会う。
駅をおりたときから、今日あたりMさんに連絡しないとなあと考えながら歩いていたのだ。
最近よく道で知りあいに会う。たいていぼーっとしているので、挙動不審になる。
話はかわるけど、先日、東京堂書店三階の畠中さんが、扉野良人さんと郡淳一郎さんが編集している『Donogo-o-Tonka(ドノゴトンカ)』の創刊準備号を入荷するといっていた。
《Donogo-o-Tonkaとは「未だ曾て世界の何処にも存在した事がない理想郷」を示している》
一九二八年から一九三〇年に、城左門(昌幸)、岩佐東一郎、木本秀生、堀河融、西山文雄の五人がそういう名前の同人誌を作っていたそうだ。
(目次)
・Donogo-o-Tonkaへ
・稲垣足穂拾遺 「竹林談」
解題=高橋信行
・花遊小路多留保逍遥
扉野良人
・煌めく、モダニスト・亀山巌さんとの縁で
古多仁昂志
・菅の中へ
細馬宏通
・書容設計一千一冊物語 第一冊 北園克衛「白のアルバム」
羽良多平吉
・戦前の神戸の詩の同人誌のこと“牙 KIVA”について
季村敏夫
……東京堂書店に並んだら、ぜひ手にとって見てください。素晴らしい小冊子です。
ちなみに「菅の中へ」の細馬宏通さんは「おっさんの肉体にユーミンが宿る」のかえるさんです。