今月のしめきり山をなんとかこえた。来月の『小説すばる』の連載は、吉行淳之介の本について書いた。
月曜日、仕事が終わっていなかったが、ずっと家にこもっているのは精神衛生上よくないとおもい、ささま書店に行く。荻窪駅で降りると、ちょうどBOOKONNの中嶋クンが電車に乗ったところだった。
帰り際、Nさんに入荷したばかりの山田稔さんの署名本をすすめられる。持っていない本だったので買う。
コープのインスタントラーメン(夜食用)を大量に購入。
晩飯は、冷蔵庫の在庫一掃雑炊。めかぶ入りのとろろ昆布もいれる。
火曜日、昼、原稿と校正の直しを送って、そのまま都丸書店とアニマル洋子、さらに中野へ。一仕事終えると、中野ブロードウェイセンターに行きたくなる。
重力サーベルはもう売れてしまったようだ。残念。やっぱり千五百円は安かったんだ。
二Fの古書うつつは、ほんとうに詩の棚が充実している。
中村光夫の『小説とはなにか』(福武書店、一九八二年刊)を買う。
この本におさめられている「烏有先生再問」は、晩年の中村光夫の最高傑作ではないか。
《戦争がすんでから、二三年しか経たぬころのことです。創刊されて間もなかった「群像」が月例の合評会に、正宗白鳥氏、上林暁氏と僕を招んだことがあります。
会場は熱海の何とかいふ旅館で、一晩泊りといふことでした》
合評会での正宗白鳥は、細かいノートを書いてきていて、話ぶりも見事だった。
中村光夫は「やはり仕事はまともにやる人なのだ」と感心する。
わたしは正宗白鳥のことが気になりだして、かれこれ七、八年になるのだが、いまだにどんな人物なのかちゃんとつかめていない。気難しいイメージと文章のとぼけた味わいが結びつかないのだ。
でも「烏有先生再問」を読んで、腑に落ちるところがあった。
むかし中央公論が正宗白鳥賞を作りたいと申し出たとき、白鳥は「自分の名を嫌ひな作家の顕彰に使はれるのはかなはない」といって断わった。
《文学者に好き嫌いを云ひだせば切りのない話ですが、一般にあたへる印象では、公平といふ点で第一級の批評家として振る舞つてゐる正宗氏が、内心ではかういふ潔癖な好悪の持ち主であることは、氏の意外な、しかし本質的な一面を示してゐるやうに思はれました》
潔癖な好悪の持ち主。
これだ、とおもった。白鳥に魅かれるのは、それが自分に欠けているからだ。もちろん、そういうものがまったくないとはいわないが、年々なしくずしになっている気がする。
内田百閒や山田風太郎の根強い人気も、ある種の潔癖さ、悪くいえば融通のきかなさゆえだろう。山本周五郎もそうかな。
そんなこともおもった。
*
ブロードウェイ四Fの記憶の前に行くと、股旅堂さんと古楽房(こらぼう)のうすだ王子がいた。偶然。「ちいさな古本博覧会」ブログの「アルバイト店番日記」(http://d.hatena.ne.jp/collabonet_project/)も好調。初々しい文章で古本の市場の話とか、マニアックなことが書いてあっておもしろい。ちょっと偏った食生活も気になる。
そのあとうすだ王子いっしょに奥の扉に行って、中央市の話などをいろいろ教えてもらう。
家に帰って、漢字ナンクロをやっているうちに、まだすこし仕事が残っていたことをおもいだした。
「やはり仕事はまともにやる人なのだ」といわれたい。