いろいろやらなくてはいけないことがあるのだが、仙台で買った本を読みふけってしまい、何もできない。
火星の庭では、藤子不二雄著『トキワ荘青春日記』(光文社カッパノベルス)があった。帯付、はじめて見た。状態も新品同様。どうしてもほしくなり、買うことにした。
マゼランでは石ノ森章太郎の『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(鳥影社)を買い、これは帰りの電車から、メモをとりながら読んだ。
石ノ森章太郎は、漫画家(萬画家というべきか)ではなく、ほんとうは映画監督か小説家になりたかった。
忙しい仕事のあいまに、膨大な量の本を読み、映画を見ていた。
《自分を語るという作業には、ある種の過剰感(プラス)と欠落感(マイナス)みたいなことが必要なんだろう。いつもバランスをとってしまう僕には、やっぱり自分語りの適性がないのかもしれない》
『絆』は、膨大なインタビューをライターが構成したもので、若い世代に向けたメッセージがたくさんつまっている。
《壁を越えるのはちょっと苦しいけれど、越えればそこには必ず新しい世界がある。それを見られるだけでも楽しいじゃないか。人生は木のようなもので、まっすぐに伸びた幹だけの木より、枝があちこちに伸びている木のほうがおもしろい。まっすぐな幹をスルスル昇っていくより、枝々をいろんな方向に伸ばしたほうがいろんな方向が見渡せて人生が何倍も楽しめるぞ》
このところ、ひまさえあれば、「自分の仕事の幅をひろげるべきか、しぼりこむべきか」というようなことを考えていた。ひろげたほうがいいという人もいるし、しぼりこんだほうがいいという人もいる。わたし自身、あれはしない、これもしない、とすぐ限定してしまう癖がある。
四十歳手前になって、昔の失敗その他、いろいろ横道にそれたことが、無駄、無意味ではなかったとおもえるようになった。
石ノ森章太郎のような枝の伸ばし方は、まず不可能なのだが、自分なりにいろいろ枝を伸ばしてみようかなと……。