本の雑誌社から出る単行本のタイトルは『活字と自活』に決まりました。
このブログで書いた「十年前」を加筆した文章の改題作のタイトルでもあります。
好きなことを仕事にする。しかしほんとうに好きなことを仕事にすると、それはそれで次々とむずかしい問題が出てくる。自分のほうから、むずかしい問題が出てくる方向に突き進んでいってしまうといったほうがいいのかもしれない。
誰かにいわれたことがそのとおりにできても、場合によっては、マイナスになることがある。いまだにその見極めはむずかしい。
何を書くかどう書くかといったことにしても、自分の感覚で選んでいくしかない。
開き直るわけではないが、その感覚はまちがっていてもいいのである。まちがっていると自分でわかる前に修正してしまうのはよくない。人にいわれてすぐ修正する癖を身につけてしまうと、自分のやりたいことがわからなくなる。
友人のミュージシャンが、わかりやすくてノリのいい曲を作った。わたしが「いい曲だねえ」とほめたら、「ええ、そうか。ぜんぜんおもしろくないとおもったんだけどなあ」という。
写真家の友人も、同じような反応をよくする。こちらが見てすぐ「いい」とおもうような写真をほめてもちっとも喜ばない。
逆に本人が気にいっている写真を見せてもらうと、どこがいいのかまったくわからない。
多くの人が「いい」とおもうものと自分が「いい」とおもうものが重なるのは理想なのかもしれないが、わたしはそこがずっとズレている人の表現が好きである。
十代二十代のころは、多くの人がそうしたズレを抱えている。でもそのズレはいつの間にかなくなってしまう。
わたしも二十代のころは、いろんな人からああしろこうしろといわれた。
いわれたことをすぐやると、たいていおかしくなる。中にはありがたい忠告や助言もあった。でも自分に合わないことをやっても、なかなかうまくいかない。
他人の意見というのは、頭の片隅におぼえておいて、ときどきおもいだすくらいでいいのではないか。
時には他人の意見とぶつかりあうことも大事なのだが、ぶつかってばかりいると、いつの間にか角がとれてしまうこともある。
角がとれてしまうのは、かならずしもいいこととはかぎらない。
最近、よくそうおもう。