2010/06/10

うーん、うーん

 一箱古本列車の本、箱づめ終わる。重い。つめこみすぎたか。ガケ書房のUさん、すまぬ。

 日曜から断酒して仕事するも、ちっともはかどらない。
 親知らずが虫歯になっている。もうすこし早く抜いておけばよかった。ひまはあるのだが、今は行く気がしない。

 すこし前に深夜のテレビで、豆腐屋はなぜ豆腐を朝早く作るのかというクイズをやっていた。
 答えは一日のうちで気温の変化が少ない時間帯(午前一時から午前六時)だからということだった。

 わたしが仕事をするのもその時間帯であることが多い。ということは、長年の昼夜逆転生活は、理にかなっているのではないか。人は、自分に都合のいい情報を信用する傾向がある。
 その日の調子が、気候や気温に左右される。昔からそうだった。年々ひどくなっている気もする。

 横光利一著『覺書』(金星堂、一九四〇年刊)所収の「書けない原稿」という随筆にも、そんな話が出てくる。
 天候はからだの細部に影響する。三十歳すぎると、天候が人間の運命を支配するとまでいう。

 横光利一は、頼まれた原稿をすべて引き受ける。しかし、引き受けた原稿は、かならずしも書くべきだとはおもっていない。

《何ぜかと云へば、書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ》

 だから、書けないときには書かない。すると、不義理をしている編集者にたいし、いつか気にいった原稿が書けたときに送らねばすまぬという気持になるそうだ。
 たしかにそのとおりだ。そのとおりだが、虫のいい話だという気もしないではない。
 無名の書き手が、横光方式を採用すれば、おそらく二度と原稿を頼んでもらえないだろう。いくら渾身の原稿が書けて持ち込んでも、門前払いをくらうかもしれない。

 横光利一は原稿が書けないとき、家の中を歩きまわる。ふと気がつくと、便所にはいっている。こんなところに何しに来たのかとおもい、便所を出る。格子に頭を叩きつけながら「うーん、うーん」と声を出す。

 パソコンが熱くなって、変な音がする。
 これ以上、仕事をするなというシグナルだと判断し、今日は寝ることにする。