五月一日から五日まで京都と三重に。
京都では、徳正寺のブッダカフェに参加し、みやこめっせの古本まつり、拾得で薄花葉っぱと東京ローカル・ホンクのライブ、メリーゴーランド京都で鈴木潤さんとオグラさんのライブを見る。
火星の庭の前野久美子さん、めぐたんとも会えた。
福島、宮城から関西に子供を連れて避難している人たちと会い、その葛藤を聞いて、考えさせられた。
いまだに余震も続いているし、物不足の問題も残っている。
わたしは動ける人は動いて、平穏な場所で、のんびりしたり、支援したりするのはいいことだとおもうのだが。
長年、ボランティア活動をしている人から、あれこれ勝手に想像するより、直接会って話を聞くことが大切だと教えられる。
古書善行堂で、川崎長太郎著『私小説家』(川崎長太郎文学碑を建てる会)を買う。
滞在中、扉野良人さん宅、東賢次郎さん宅にお世話になる。
京都は、余震もなく、町の雰囲気もまったくちがった。気がゆるみすぎて、ライブも古本屋めぐりも楽しかったのだけど、どんどん現実とズレていくような不思議な気分だった。
車で東さんに北大路駅まで送ってもらい、しばらく川のそばでぼっとして、下鴨を通って一乗寺のほうまで歩いた。
このあたりに住めたらなとおもったり、いや、東京で働いて、ときどき遊びに行ったほうがいいのかなとおもったり……。
四条河原町の阪急百貨店のあとに丸井ができていて、人がごったがえしていた。三階くらいまでエスカレーターに乗って、うろつく。滞在時間五分。なんとなく、薄暗く、空気の重い東京から来た身には刺激が強すぎた。
京都滞在後、郷里の鈴鹿に寄り、スーパーに行くと、高円寺で品薄になっている商品が山のようにあった。店内も明るい。
前回、帰省したときに行きそびれたゑびすやのうどんを食い、すがきやのラーメン、コーミソース、田舎あられなどを購入し、京都で買った本といっしょに宅配で送る。
この数日、京都も三重も黄砂がひどく、町中を歩きまわっていたら、目やノドが痛くなった。
両親(とくに母)とは平和な距離を保とうと、何をいわれても、反論しないように心がけていた。
自分がいったおぼえのないこと(いうはずのないことを)を前提に、文句をいわれ、戸惑う。たとえば、いきなり「あんた、昔から間寛平がおもしろいっていっとったけど、どこがええの」といわれたり……。そんなことはいったおぼえがない。齢のせいだろうか。疲れる。
今回の収穫は、両親の家のちかくに港屋珈琲という喫茶店を見つけたこと。
夜十二時まで営業している。
帰りは、近鉄電車ではなく、JRの鈴鹿駅から「快速みえ」(だいたい一時間に一本)にはじめて乗る。早く着きすぎて、駅のそばのあおい書店で時間をつぶす。
鈴鹿駅から名古屋まで四十五分。新幹線の乗りかえも楽だった。
連休中、原稿を書かなければいけなかったのだが、まったく進まなかった。