本を読むときのからだの調子や頭の具合についてよく考える。
健康すぎるとだめだ。外に出たくなる。酒が飲みたくなる。からだを動かしたくなる。じっとしていられない。かといって、風邪をひいていたり、疲れすぎたりしていてもいけない。体調がわるいと、活字も頭にはいってこない。
程よく怠いこと。
わたしが本を読んでいるとき、集中できるというか、しっくりくるのはそういう状態である。
程よい怠さは、酒を飲んだときのほろ酔いの状態と似ている。狙ってその状態を作り出せない。
ずっとほろ酔いが続けばいいのになあとおもっていても続かない。たいてい痛飲し、泥酔し、二日酔いになる。
尾崎一雄の「日記」という随筆がある。
これまで日記を書いてこなかったのだが、今年の元旦から書きはじめたという。
志賀直哉の全集の日記の巻を読んで「文章はどうでもいい、その日あつたことを簡単に書きとめ、かつは又何か感想でもあつたら、自分があとで読んで判る 程度に書いておく、将来何かの足しになるかならぬかはしばらく措き、現在の自分を整理するための一助にはなるだろう」とおもい、毎日何かを書き記そうと決 めた。
《志賀先生の日記には、一日分として、「忘れた」あるいは「無為」などと書いてあることがある。私のにもそんなのが続々と出てくるかも知れぬが、とにかくつけることはつける》
わたしもかつて日記をつけよとしたことが何度かあるのだけど、あまりにも毎日同じようなことしかやっていなくて続かなかった。
でも「無為」な時間が、何かの拍子に「有意義」に変わることがある。
そのときそのときはただただどうしようもなく怠惰にすごしているだけなのだが、後からふりかえると、そんな無意味におもっていた時間から得るものが、あったりなかったりする。
本を読んでいるあいだ考えていたことは、ほとんど忘れてしまうのだが、やっぱり、それも何かの拍子におもいだすことがある。
今は何もおもいだせない。