2011/05/19

そこにいること

 土曜日、西部古書会館の古本博覧会。ひさしぶりに初日の午前十時前に並ぶ(前日から時差調整していたのだ)。盛林堂がいい本を格安で出ていた。股旅堂が出品していた本もけっこう買った。

 古本博覧会は若い(といっても、わたしと同世代)古書店主が参加しているせいか、いつもの古書展と棚の雰囲気がずいぶんちがう。
 棚の数を減らし、本も見やすい。量を重視するお客さんには物足りないかもしれないが、わたしはこの試みはすごくいいとおもう。昔から、棚と棚のあいだで押しあいへしあいになるかんじが苦手なのである。

 そのあと仕事があって、あずま通りの青空市は日曜日に行った。
 こちらも楽しかった。
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『活字と自活』(本の雑誌社)の写真を撮った岡山在住の藤井豊さんが、一ヶ月以上、青森から福島まで、ほぼ徒歩で写真を撮り歩き、その帰りに東京にやってきた。
 ペリカン時代で珍道中としかいいようのない話を何時間にもわたって聞かせてもらったのだが、いずれ写真といっしょに藤井さん自身が語るときがくるとおもうので、その内容は秘しておく。

 ただ、藤井さんは顔つきが別人のように変わっていて、野人化していた。
 写真家にとっての才能は、いろいろなセンスもあるのだろうけど、何よりも「そこにいること」だろう。
 では、わたしにとって「そこにいること」とは何だろう。

 外出するときにマスクを着用し(今のところしていない)、水や食べ物を気にしたり(まあ、多少は)、洗濯物を外に干すかどうか迷ったり(やむをえず部屋干し)、そんなおもいをしてまで、東京にいる理由はあるのかと自問する。

 酒びたりの不健康な生活をしていても、四十歳すぎていても、子供がいなくても、放射性物質は怖いし、いやだよ。

 地震や原発事故と関係なく、いつ食えなくなってもおかしくないという不安もある。

 このままここにいられるのか。
 どこにいけばいいのか。
 毎日のように考えてしまう。

 まあ、答えはいつも同じなのだが。