2014/11/29

『仕事文脈』と『半農半X』

……なるべく悲観せずにすむ未来も考えたい。

 と、書いた翌日、『仕事文脈』の最新号が届いた。この号の特集は「大きい仕事、小さい仕事」。ほんとうに楽しみな雑誌だ。とくに佐野和哉さんの「無職の父と、田舎の未来について」という連載は毎号読ませる。トマソン社が広告を出していた。

 わたしはそれほど裕福な暮らしを望んでいるわけではなく、ほどほどに働いて、好きなことをして生きていきたい。それがむずかしいといえば、むずかしいのだけど、わたしの希望はそれに尽きる。

 働き方の多様性——いや、そんな大げさな話ではなく、自分に合った仕事のしかたを考えることが、暮らしやすさ、生きやすさにつながるのではないか。『仕事文脈』のテーマは一言ではまとめることはできないけれど、ちょっとやる気のない人向けの仕事雑誌ではないかとおもっている。ちがっていたら、すみません。

 ひとつの会社を定年まで勤めて、その後は年金で悠々自適の暮らしを送るというような人生設計は今さら望んでもしかたがない。
 生涯ひとつの仕事だけをやり通すことも簡単ではない。
 うまくいかないこともふくめて、もうすこしゆるく、幅広く仕事を考えていきたい。

 すこし前に読んだ塩見直紀著『半農半Xという生き方 決定版』(ちくま文庫)は、そういう意味でも大きなヒントをもらった。「半農」の部分、自分が農業に向いているかどうかは、やったことがないのでわからない。「半農半X」は、農業を基本に「X」で自分の好きなことをやるというような趣旨なのだけど、「半X半Y」と考えて、「X」と「Y」はそれぞれ「できること」「やりたいこと」を代入することもできそうだ。

 半分ずつである必要もなく、自分の仕事を三分割、四分割していくという方法もあるとおもう。

 不景気とか、人口が減るとか、過疎化とか、そういうこともけっこう考えてはいるのだけど、あまりにも問題が大きすぎて、途方に暮れてしまう。
 とりえあず、近所付き合いを大事にするとか、無駄な出費を見直すとか、なるべく不機嫌を抑えるとか、そんなところからはじめようかとおもっている。

2014/11/28

四十五歳

 今月、四十五歳になった。
 年々一週間にできることが減っている気がする。一日働くと次の日何もする気になれず、一日遊ぶと次の日仕事をする気になれない。
 次の日のための余力を残しながら、仕事をして酒を飲む。それが当たり前といえば、当たり前なのかもしれないが、これまでの生き方をすこしずつ調整しないといけない。

 二十代のころは(四十歳くらいまで)自分の住みたい町で暮らし、好きなだけ本が読めたら、それでいいとおもっていた。その願いはかなったといってもいい。

 上京して二十五年になる。これまでの二十五年は世の中は不景気といわれる期間が長かった。でも食うに困るほどの貧しさは経験せずにすんだ。
 お金がなければないでそれなりに暮らす術も身につけた。

 この先、日本の人口が減って、二十五年後くらいには、いくつか自治体が消滅するという予想がある。もしそうした状況になれば、これまで通りの暮らし方、生き方ができない人が増えていくだろう。その兆候は、すでに現れている。
 頭の中では、困った人間同士が助け合ってどうにか暮らしていく世の中を夢見ているが、わたしの場合、自分が困った境遇に陥ってしまうと、人助けをする余力を失う可能性が高い。

 余力があるうちに、次の一手を考えておきたい。

 なるべく悲観せずにすむ未来も考えたい。

2014/11/20

雑感

 時間がほしい。
 最近よくそうおもう。何かしたいというわけではなく、ただただのんびりするための時間がほしい。
 一日あるいは一週間という時間が細切れになって、それがだらだら続いているかんじがする。

 塩見直紀著『半農半Xという生き方 決定版』(ちくま文庫)を読む。あまりにもいろいろ考えさせられて、まとまった感想を書く余裕ない。
 単行本は二〇〇三年にソニー・マガジンズから出ている。十年ちょっと前の本だが、古びていないどころか、今こそ読まれるべき内容だとおもう。すこし前に、このブログで「半農半筆」という言葉をつかったのだけど、この本のことは知らなかった。

「半農半X」の「X」にあたる部分は人によってちがう。
 わたしは今月四十五歳になる。ここのところ東京での生活をあとどれくらい続けるのかということをずっと考えている。
 実行するかどうかは別にして、いくつか選択肢を増やしておきたい。
 最近、農業や釣りに興味が出てきたのも、それと無関係ではない。

 話は変わるけど、『フライの雑誌』の最新号(103号)が出た。特集は「すぐそこの島へ」。頁をめくるのがこんなにワクワクするのは久しぶりだ。

 行き詰まってくると、いつも島に行きたくなる。行き先は決めていないのだが、なぜか瀬戸内海だ。島に行って、とくに何もしない。そんな時間に憧れる。

 特集ではないが、この号でわたしも福田蘭童と石橋エータロー親子の釣りの話を書いた。

 わたしは釣りはほとんどしていないのに、フライの雑誌社の本が好きになった。
 とにかく釣りに人生を捧げる人たちの言葉が眩しかった。この雑誌を読むと、まだまだ自分は好きなことにたいするのめりこみ方が甘いなあという気持になる。

 それから上州屋八王子店で「フライの雑誌社フェア」(11月15日〜30日)が開催中だそうです。これは行きたい。

2014/11/12

阿佐ケ谷の釣り堀

 火曜日、午前中に起床(睡眠時間がズレている)。
 午後二時から阿佐ケ谷の釣り堀(寿々木園)に行く。『フライの雑誌』の堀内さん、フリー編集者の塚田さんといっしょに。

 寒い。この秋、初の貼るカイロ。途中、雨が降ってくる。
 鯉と金魚の池があって、今回は金魚のほう。一時間六百円。
 堀内さんは話をしながら、どんどん釣る。一時間で二〇匹くらい釣っていた。塚田さんも四、五匹か。わたしは……一匹。金魚釣り、むずかしい。

 それでも平日の午後にぼーっと座って釣りをするというのは贅沢な時間におもえた。

 そのあと喫茶店に行って飲み屋を二軒ハシゴ。

 月に一日くらい、釣りの時間があってもいい。それではうまくならないことはわかっているのだが、今はただ水辺でぼーっとするだけでもいいとおもっている。小さな釣り竿を持って、小さな旅ができたらともおもっている。

2014/11/11

カレーと仕事

 先週末から、家にこもって仕事をしなければいけない状況になったので、カレーを作る。おなかが空いたら、すぐ食って、すぐ仕事だ。カレーを食って、コーヒーを飲んで、ひたすら仕事をする。

 日曜日は、十二球団合同トライアウトもあるので、仕事をしながら、その経過を追う。数時間ロス。しかし、気になるものは仕方がない。

 何度か終わらないかもしれないという不安がよぎりつつ、どうにかこうにか原稿を書き上げる。

 ライターの仕事は、週末と週明けにしめきりが集中する(わたしの場合)。週末のしめきりが間に合わなくて、週明けになることも多い。週末のしめきりが週明けになると、もともと週明けのしめきりにしわ寄せがくる。しわ寄せを防ぐ最善策は、週末のしめきりは週末で片づけることだ。週明けのしめきりを週中にズラすと、休みの日がなくなり、身も心もくたくたになる。
 そうすると次の週末のしめきりに支障が出る。だから、次善策は、週末の仕事と週明けの仕事を一気に全部片づけることだ。

 今回は次善策を採用し、カレーを食いすぎた。

 月曜日、久々に荻窪のささま書店に行く。天野忠『動物園の珍しい動物』(編集工房ノア、一九八九年刊)、山下洋輔『セッション・トーク』(冬樹社、一九七九年刊)などを買う。『セッション・トーク』は対談集だが、景山正夫の写真の頁は紙質がちがう。

 カレー以外のものが食いたくなり、荻窪駅前でたこ焼を買う。

『BOOK 5』の最新号「特集 名画座で、楽しむ。名画座を、愉しむ。」を読む。わたしも前号から「スポーツ本」の連載(イラストは松田友泉)をしている。この号では石井一久著『ゆるキャラのすすめ。』(幻冬舎)を紹介した。

2014/11/06

外来魚のレシピ

 長野で稲刈りを手伝ったとき、米といっしょに大量に栗をもらった。米を炊くたびに栗ごはんを作っていたら、太った。栄養あるんだな、栗。

 九月末に上京した藤井豊さんも一ヶ月滞在し、岡山に帰る。

 先週は何日か古本まつりの神保町をぶらぶらした。三十代のころ、生活を切りつめながら買った本がことごとく安くなっている。古山高麗雄の署名本を何冊も見かけた。
 生活が落ち着いている時期(当社比)は、息抜きの読書が増える傾向がある。

 すこし前に出た新刊だけど、平坂寛著『外来魚のレシピ 捕って、さばいて、食ってみた』(地人書館)は、想像以上におもしろかった。エンタメノンフィクション系といってもいいかもしれない。カミツキガメやアリゲーターガーも捕まえて料理する。からだを張りながら綴った文章の熱量がすごい。著者略歴を見たら、一九八五年生まれ——いろいろな意味でうらやましい。

《釣ってやる! 餌は俺の指だ!》

《もう釣り竿すら要らん!》

《逃がす? 飼う? 否、食べる!》

 人類と魚類の異種格闘技を見ているかのような気分にさせられる本だ。

 楽な生活より、おもしろいことに夢中になっている生活のほうが楽しい。釣りの本を読みはじめて、釣りがしたくなったのは、釣り界って変人がいっぱいいて、楽しそうだなとおもったからである。

 部屋にこもって本ばかり読む生活をすこし変えたい。月に一回くらい行ったことのない場所に行って、海や川でぼーっとしたい。できれば、寒がりも克服したい。

2014/11/05

ストーブリーグ

 腰痛の兆候はやや緩和。部屋の掃除、新聞雑誌のスクラップをする。
 寒くなってきたので、休み休み働くつもり。

 プロ野球のストーブリーグの季節に入って、誰に頼まれたわけでもないのに情報収集に励んでいる。何でこんなことをやっているのかと二百回くらいおもったことがあるがやめられない。FAと戦力外の情報を追いかけると、ひいき球団以外の選手の話をいろいろ知ることができて、何の役に立つのかはわからないが、楽しくて仕方がない。

 数年前にドラフトで入団した選手がほとんど一軍に上がらないまま、戦力外になる。
 今年、戦力外になった選手の中にも、ドラフトのとき、将来有望とおもった選手が何人もいた。というか、プロになるくらいだから、みんな、アマチュアのトップクラスの選手ですごいに決まっている。でもその後の明暗は、ずっと野球を観ていても、わからない。助っ人外人の当たり外れとかも……。

 調子のいいときに一軍に呼ばれなかったり、チーム事情で別のポジションを守ることになっておもうような結果を出せなかったり、やっとレギュラーに手が届きそうになったところでケガをしたり、FAで大物選手が入団してはじきだされたり、運も実力も何でもありの世界だ。

 二軍で同じくらいの成績にもかかわらず、戦力外になる選手とならない選手がいる。
 これまでの実績や人気、年齢、年俸、ドラフトの順位、選手の出身校も左右する。
 あまりにも簡単に選手を切れば、高校や大学、社会人のチームとの関係が悪化する。

 昔は、ドラフト下位でプロに入って、高卒なら五年、大卒なら三年くらいで結果を出せないとダメだといわれていた。今はもっと早くなっている。どの球団も即戦力志向、わるくいえば、使い捨て志向になっている。この厳しさは今の世の中の厳しさとも通じている。

 引退後、解説者、コーチ、あるいは球団職員として残ることができるのは、ごく一部の選手である。中には、現役時代に、たいした成績ではなくても、コーチやスタッフとして球団に残れる人もいる。これもよくわからない。選手と指導者の才能は別ともおもわれるけど、引退後の進路は人気や人望(人間性)も大きな要素になるだろう。生え抜きと移籍してきた選手でもちがう。

 戦力外になった選手やFAの人的保障(プロテクトした二十八名以外の選手)になる選手にしても、チームが変われば、活躍する可能性かもしれない。
 問題は、打率二割五分くらいで守備も走塁もそこそこ、バックアップにはいいけど、レギュラーはきびしいという選手である。まだ若ければ伸びしろに期待できるが、二十代後半、三十歳すぎると、やはりプロテクト枠から外されてしまうことも多い。
 野球の話ではあるが、フリーランスの世界でも、器用貧乏タイプは年齢とともにきびしくなる。そこから抜け出すためには、何かしらの技術なり専門なりを特化させるしかないのだが、それが簡単にできれば、苦労しない。簡単にはできないことに挑戦して、苦労するしかないともいえる。

「大きなケガをせず、シーズン無事に」といえるのは、レギュラーを(ほぼ)確約された選手のみで、一・五軍、二軍の選手はケガを怖れていては怠慢プレーと判断されかねない。しかし無理してケガすれば、選手生命を縮めることにもなるから、時には、頑張っているフリをするくらいの要領のよさも必要なのかもしれない。

 これから頑張ります。