2016/02/08

伊賀越え

 日曜日、西部古書会館。寝起きの頭で本棚を見る。背表紙に反応できず、棚を素通りしてしまう。ところが、しばらくすると、さっき見過ごした棚に読みたい本が何冊か見つかる。三冊買う。千円。

 新しい靴を買ったので、散歩の時間がすこし長くなる。靴底のつま先の部分が(地面にたいし)すこし浮いているウォーキングシューズで歩くのが楽。そうではない靴を履くと違和感をおぼえるようになった。

 夜、『真田丸』見る。たまたまテレビをつけたら、本能寺の変の後で徳川家康の伊賀越えの場面がはじまる。
 落ち武者狩りを避けながら、道なき道を逃げ続ける家康。案内役の服部半蔵(二代目)は、ハマカーンの「下衆の極み」の人だった。

 吉村昭著『大国屋光太夫』(上下巻、新潮文庫)では「家康一行は、伊賀者の巧みな案内で白子浦にたどりつき、廻船業者に渡海を依頼した。業者は快諾して船を出し、家康は海をわたって三河国大浜に上陸して無事に岡崎に帰城した」とある。

 そして——。

《そうしたことから白子浦は、幕府から特別な港として目をかけられ、それが一層の繁栄をもたらした》

 吉村昭は白子(鈴鹿)説なのだが、ほかにも四日市説や津説もある。『真田丸』ではどの港から出たのかは省略されていた。