2016/03/09

ゾンビの話

 昨日午前四時、外に出たら、すごい霧がかかっている。数メートル先が見えない。

 ここ数日、キンドルで『ウォーキング・デッド』(アメリカのゾンビドラマ)を観ていたので不安な気持になる。

 映画やドラマでは、勇気ある主人公はどんなに危険な目にあっても間一髪で助かる。酷い奴は、途中で改心しないかぎり、たいてい非業の最期を遂げる(もちろん、例外はある)。

 その他大勢は、脚本家のさじ加減で運命が決まる。主人公の選択に自分の生死が左右される。もし主人公の勇気ある選択によって、その他大勢が全滅したり、ズルい奴や酷い奴が生き残ったりすれば、後味がわるすぎてドラマにならない。

 ゾンビは昼より夜のほうが活発になる。音に反応する。頭が弱点である。人間たちは、限られた武器でどう戦い、どう助け合い、どう生き残るか。ゲームを観ている感覚と近い。

『ウォーキング・デッド』の逸話で主人公たちが身を寄せる農場からすこし離れた場所に、別のグループが存在することがわかるシーンがある。偶然、飲み屋でそのことがわかり、別のグループの人間が農場のことを探ろうとする。これ以上、農場は人を受け入れる余裕がない。食料や薬には限りがある。もし受け入れたら、彼らに襲われる危険性もある。さて、どうするか。

 主人公たちは一話ごとに追いつめられた状況下で、ギリギリの選択がせまられる。自分たちが生き残るためには、残忍な決断を下すしかない局面もある。きつい話の連続だ。主人公のキャラクターも含めて、アメリカの社会状況が反映されている気がする。

 消耗したので、すぎむらしんいちの『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ』(現在五巻まで。講談社)を読んだ。中野ブロードウェイを舞台にしたゾンビ漫画である。素晴らしく、くだらない。こちらは日本の社会状況が反映……されているかどうかわからない。