2020/02/04

二月になったが

 いつの間にか二月。昨年暮れあたりに部屋の天井がはがれてきて、大家さんに修理を頼んでいた。今日朝九時に工事の人が来て昼には終わった。
 テレビやステレオを動かし、もういちどコードやら何やらをつなぎなおす。ラジオをつけたらジェーン・スーさんの番組だった。飲み友だちのあいだで愛聴者が多い。本は全部読んでいるが、ラジオははじめて聴いた。面白い。
 そのあとレコードを何枚か聴く。CDは楽だけど、わたしはレコードが回っている光景が好きなのだ。見ていて飽きない。アンプをきれいに磨いたせいか、音がすこしよくなっている。

 西部古書会館で買ったまま積ん読になっていた福原麟太郎の『変奏曲』(三月書房、一九六一年)を読む。「野方の里」という随筆の初出は一九五九年四月の日本経済新聞なのだが、いきなり「野方の里といっても、東京都中野区野方町一丁目のことで、その五七六番地に、この筆者が住まわっているのである」と書いてある。おおらかな時代だ。

《昭和二十三年の夏、暑いさかりに、この町へ越して来たとき、書斎にした六畳の窓をあけると、生けがきの外にはすぐ麦畑が見渡すかぎり海のように続いており、涼風がそよそよと吹き込んで、実に快適であった》

 七十年ちょっと前の野方の話。高円寺からほぼ北にまっすぐ歩くと野方だ。昔はなかったけど、今、高円寺と野方のあいだに案内板みたいなものがあって、高円寺駅まで一・何キロ、野方駅まで一・何キロと駅までの距離が記されている。高円寺から野方は余裕で徒歩圏内である。
 高円寺駅と野方駅のちょうど中間地点は中野区の大和町なのだが、このあたりも好きな場所だ。近くに川があるのもいい。

 五十歳になって、気持の区切りというか、諦めというか、吹っ切れたことがいくつかある。
 ひとつは自分の能力にたいし、過度な期待をしなくなった。たぶんこの先万全といえる体調はない。やや不調くらいでよしとする。
 肩凝りや腰痛も簡単には治らない。今、腰の調子がよろしくないのだが、動くのに苦労するほどの痛みはないので休み休み仕事している。
 のんびり仕事しているが、しめきりまでには何とか仕上がるようになったのは年の功といえるかもしれない。
 焦ってもしょうがない。掃除したり散歩したり、適度に息ぬきをしながら、ひとつひとつ片づけていくのが自分には合っている。

 そのことはわかっていてもすぐ忘れてしまうので自分のためのメモとして書いた。