毎年恒例——というか、自分のためのメモとして書いていることだが、今年も「冬の底」と名付けている心身不調のどん底の時期がやってきた(ような気がする)。
今年は一月二十四日か二十五日か。でもまだわからない。昨日午後一時すぎに起きて、原稿の校正、図書館に行って調べてものをする予定が午後四時すぎまで指先に力が入らない。頭蓋骨に膜がはっているかんじがして頭がまわらない。こんな調子が続くようなら仕事にならない。ただしそんなに悲観はしていなくて、経験上はここからすこしずつ上向きになっていくと考えている。昨年も一昨年もそうだった。
そんなわけで、絶賛不調中なのだが、QJWEBで「半隠居遅報」という連載をはじめることになりました(いちおう隔週で三ヶ月の予定)。第一回は「気楽に休める社会 休み休み歩いたほうが遠くまで行ける」です。
(https://qjweb.jp/journal/4383/)
「半隠居」という言葉は山口瞳の『男性自身』シリーズの中で見つけた言葉で、杉浦日向子が提唱していた「晴れ時々隠居」のニュアンスもある。ようするに、働かないと食べていけない「金のない隠居」ですな。
山口瞳の『隠居志願』(新潮社、一九七四年)に「小さい海」というエッセイがある。『男性自身』シリーズの中でも大好きな一篇だ。
《どうも現在の俺は半隠居かもしれないと思い、半隠居というのも落ち着かない感じだなと思った》
初読は二十代半ばころか。父の本棚にあった。ブラックジャーナリズムの仕事を辞め、週三日くらいアルバイトをしながら、古本やレコードを売って暮らしていた。
「小さい海」を書いたころの山口瞳は四十六歳。同エッセイにはこんな文章もあった。
《以前、ある小説家に、おれたちは、五十歳を過ぎないと自分の仕事が出来ないと言われた》
自分の仕事とは何か。あと何を書き残しておきたいか。
最近、そんなことばかり考えている。