2020/12/10

津田左右吉のこと

 休み休み仕事——いろいろなことが頭におもい浮ぶのだが、まとまらない。
 気分転換に『津田左右吉全集』(岩波書店)の二十七巻をパラパラ読む。大正十四年四月から昭和二年十二月までの鈴木拾五郎夫妻宛てに送った「日信」の巻。鈴木夫妻は若い研究者である。編集後記には「鈴木家では、これをほゞ四ヶ月分づつの和装本に綴ぢ」保存していたとある。わたしはこの全集の「日記」と「日信」の巻しか読んでいない。

 鮎川信夫の『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社)を読み、わたしは二十代のころ『津田左右吉全集』を買った。もちろん積ん読だ。否、積ん読どころか、ずっと押入にしまいっぱなしで背表紙すら見てなかった。

 津田左右吉は一八七三年岐阜生まれ。「日信」は五十一歳のときに書きはじめている。今のわたしと同年齢である。時は来れり。

《苦しい夢からやつと覚めたと思つたら、夜がもう明けてゐた。ぐつたりして、起きる気になれない。さうしてまだねむい。ねてゐるでもなし、覚めているでもなし、むら雲のさわぐやうに、連絡もなく理路も無いさまざまの考が乱調子に頭の中に起きては消える》(大正十五年五月二十七日)

《朝からねむくてたまらぬ。本を読んでゐると眼が痛い》(同年五月二十八日)

《ゆうべはあまりねむかつたので、八時にねてしまつた。十分熟睡はしなかつたが、それでも時間が多かつただけ、けさは昨日ほど頭がぼんやりしてゐない》(同年五月三十日)

 津田左右吉は「日信」の書き出しで眠れないとか原稿が捗らないとか、そういう愚痴をよく書いている。ほかにも季節のこと、庭の草花などの身辺の話、新聞やラジオの雑感、知り合いとの対話などを綴っている。

 たとえば、ラジオで聴いた市会議員選挙の結果の感想ではこんなことを書いている。

《あまりに理智の勝つた、打算的な、冷静な人は、さきが見えすぎて勇気が挫折する》(大正十五年六月四日)

 仕事や人間関係(恋愛も含む)にもそのことがいえるのではないか。文章を書いていても、冷静になりすぎると「こんなもの書いても無駄だ」みたいな気分になることが多い。

 津田左右吉の「日信」では次の言葉も好きだ。

《人間味といふものの出るのは、一つは自分が弱いものであるといふことを知るところにあるのではなかろうか》(大正十五年六月十九日)

 ほかにもある人がアメリカはわがままで変な国だといっていたことにたいし、津田左右吉は「どこの国も大抵似よりのものであらう」と答える。

《個人を見てもさうで、大ていの人間にはどこかに可愛らしいところもあるが、かはゆくないところもあり、欲ばり根性、我がまゝ根性、いばり根性、なまけ根性、なども少しづつはだれでも持つてゐるが、それと同時に其の反対のよいところも幾らかづつは有る。さうしてそれがどれもこれもちよいちよい頭を出す。他人から見ると、だれでも多頭性の怪物である。みんな鵺(ぬえ)みたやうなものである。たゞ環境により、修養により、其の他いろいろの事情によつて、其のうちの何れかが優勢になつて他を抑へつけてゆくので、そこからよい人間や悪い人間や面白い人間やつまらない人間ができてゆく。国とても同じことだらう》(大正十五年八月十日) 

 鮎川信夫は津田左右吉の「日信」を「すきなことをすきに書いて、そこにてらいもなければ無理もなく、余裕しゃくしゃくとしているのである」と評していた。

 まだまだ紹介したい言葉があるのだが、今日はこのへんで。