2020/12/13

行ける時に

『フライの雑誌』の最新号「特集 北海道」。もちろん釣りの特集なのだが、北海道の魚の生態、釣り場の特徴など、その道のプロというか筋金入りの趣味人(遊び人)のおもいのこもった文章がつまっていて、いつも以上に情報が濃い。
 わたしはこの号では根津甚八の話を書いた。一九九〇年代半ばごろ、根津甚八はフライフィッシングのエッセイを週刊誌に連載していた。編集後記にもすごく楽しみな一行があった。

 すこし前の『フライの雑誌』のブログ「あさ川日記」に「行ける時に釣りに行っておくんだ。なにかの理由で行けなくなっちゃうかもしれないでしょ。」という言葉があった。

 わたしは古本屋がそうだなと……。金曜日、荻窪の古書ワルツに行く。八〇年代と九〇年代に出たフライ・フィッシングの本を二冊。古書ワルツ、釣りの本がけっこうあった。『信濃路とわたし』(社団法人、信濃路、一九七〇年)は、はじめて見た。タウンセブンの地下でぶりの寿司を買う。

 古書ワルツで買った大岡昇平著『戦争』(岩波現代文庫、二〇〇七年)を読む。単行本は一九七〇年刊。

《その頃は古谷綱武なんていう仲間としょっちゅう学校をさぼって、丸善の二階へいったり、神田の古本屋をウロウロしたりというようなことをやってたんですけどね。ある時古本屋のまん中でフッとこう考えたんだよね。ここには、人間の文化が始まって以来何千年に書かれた日本と外国の本がある。これを一生かかっても読んでこなすってことは、これはとてもできねえと思ったんだよね。そんなことより、まず自分がなにをするかをきめなきゃだめだ、その上で、自分に気に入ったものだけ選るんじゃないと間に合わない。自分で書けるように持っていかなきゃ意味ねえな、てなことを考えた覚えがあります》

「その頃」は一九二七年——大岡昇平十八歳である。

 上京後、十九、二十歳のころのわたしも似たようなことを考えた。本を読んでいるだけで一生終わるともおもった(それはそれで幸せかもしれないが)。
「自分がなにをするか」を決める。決めても変わるし、変わってもいい。まさか四十代後半から街道本を蒐集する人間になるとはおもわなかったですよ。

 二十代から三十代にかけて、わたしは小林秀雄と中村光夫を愛読していたのだが(今も読む)、ふたりと仲がよかった大岡昇平は敬遠していた。「ケンカ大岡」の印象が強くて、とっつきにくかったのだ。

 吉行淳之介著『懐かしい人たち』(ちくま文庫)の「三島事件当日の午後」という大岡昇平を回想したエッセイがある。

《大岡さんは東京育ちで、私もそうだからある程度分るのだが、こまかく気を使うタチで、それが相手に通じなかったり誤解されたりすると苛立ってくる。私の場合は我慢してしまうが、大岡さんはそのとき怒るのだろう。(中略)そのほかにも、筋の通らないことにたいしては、猛然と怒る、という話も聞いた。しかし、筋の立て方が、大岡さんと私と違う形になることも有り得るわけで、なにかスイッチの在り場所の分らない危険な爆発物を見るような気がして、あまり近づきたくない》

 いつキレるかわからない大御所を「危険な爆発物」と『大岡昇平全集』(中央公論社、一九七五年)の月報で評してしまう吉行淳之介もなかなか……。