円地文子、吉行淳之介、小田島雄志『おしゃべり・えっせい』の「シリーズⅠ」(朝日新聞社、一九八四年)所収の田中小実昌がゲストの「まじめになるとき」を読む。先日、「シリーズⅡ」を古本屋で見つけ、「シリーズⅠ」も読みたくなり、ネットの古書店で注文していたのだ。
何を飲むかという話からはじまって、田中小実昌は「白ワインね。できればドライなヤツを」と注文する。すると——。
《円地 このごろみんな「ワイン」って言うのね。わたしなんかブドウ酒って覚えているんだけど。
吉行 体にこもりますね。でもどうしてワインなんて言い出したの?
田中 いや、強いの飲むと、すぐ酔っぱらっちゃうんですよ》
田中小実昌は家で飲むブドウ酒を一度に百本(一升瓶)買うという。
《田中 もう何年も前からですよ。十年ぐらいになりますよ。
小田島 それはどこのものですか
田中 山梨県です。甲府市ではないんです。
小田島 茶色いようなやつですか。
田中 そうそう、茶色です。赤でもなきゃ白でもない。茶色です。絞りかすです》
《田中 だからデパートなんかでも売れないブドウ酒なんですよ。今は密造酒はほとんどないみたい。あれはね、刑が重いらしいんですよ。だから、ばからしくて作れないんですって》
この座談会を読んでしばらくして田中小実昌著『ほろよい味の旅』(中公文庫)が刊行された。
「酔虎伝」の章は山梨のブドウ酒の話がけっこう出てくる。
《山梨県からブドウ酒を送ってもらうようになって、もう十年以上たつ。(中略)一升壜にはいったそのブドウ酒は赤でもなく白でもなく、またローゼのようでもなく渋茶色、おまけに壜の底に澱がたくさんたまっていた。こんなブドウ酒はデパートの食品売り場あたりでは売れない》(ノンベエむきのブドウ酒)
「ノンベエむきのブドウ酒」は『おしゃべり・えっせい』の座談会と重なるところが多い。
「甲州産ブドウ酒」というエッセイでは甲州のブドウ酒を「一升壜で四十本ぐらい」送ってもらうと書いている。
《ブドウ酒の前は日本酒を飲んでいた。「千福」の二級酒だ。ぼくは、もとは軍港だった広島県の呉市でそだった。「千福」は呉の酒で、そっけない味がいい》
田中小実昌が飲んでいた一升壜のブドウ酒は山梨県勝沼産だった。
エッセイではブドウ酒と書いたり、ワインと書いたりしている。
「喉とおりのいいブドウ酒」では、シアトル、サンフランシスコ、オーストラリアで飲んだときはワイン、うちに帰って飲むのは山梨のブドウ酒といったかんじだ。 外国産はワイン、国産はブドウ酒と書き分けている……のかもしれない。
『おしゃべり・えっせい』の「まじめになるとき」では、吉行淳之介と田中小実昌とのあいだでこんなやりとりがある。
《吉行 この人ね、何のときにまじめになるかというと、英語のとき。
田中 ハハハハ。
吉行 ぜったいまじめなことを言わない人なんだけど、ぼくが英語のことを質問すると、必ずちゃんと電話がかかってきてね。それはふしぎな男よ。英語以外はまじめにならない人なんだ》