金曜日、荻窪の古書ワルツので円地文子、吉行淳之介、小田島雄志『おしゃべり・えっせいⅡ』(朝日新聞社、一九八四年)を買う。『銀座百点』のホストが三人の座談集。シリーズ「Ⅰ」のほうは尾崎一雄や田中小実昌もゲストだった。
シリーズ「Ⅱ」のゲストは服部良一(作曲家)、大庭みな子(小説家)、小沢昭一(俳優)、田代素魁(画家)、木の実ナナ(俳優)、和田誠(イラストレーター)、江國滋(随筆家)、山口瞳(小説家)、暉峻康隆(国文学者)、太地喜和子(俳優)、加藤芳郎(漫画家)、佐多稲子(小説家)、佐野洋(小説家)、山本紫朗(プロデューサー)、宮尾登美子(小説家)、丸谷才一(小説家)、奈良岡朋子(俳優)、飯沢匡(劇作家)、吉村昭(小説家)、斎藤茂太(医者)、東海林さだお(漫画家)——。
日劇のプロデューサー、山本紫朗がゲストの「レビューの華やかなりし頃」は興味深い話がいろいろあった。
戦争末期、山本は新潟で長谷川一夫、笠置シズ子、芳村伊十郎らといっしょにいた。
《小田島 豪華メンバーですね。
山本 どうしてそこへ行ってたかというと、はじめ北海道へ渡るはずだったんです。それが笠置がちょっと汽車に遅れたんです。
小田島 ああ、それで助かったという》
《吉行 さっきの、船に乗れなかったという話、もうちょっと詳しく話してください。
山本 いや、長谷川さんたちの一行が、北海道に渡るために青森で青函連絡船に乗るはずだったが、笠置シズ子が汽車に乗り遅れたために、それを待っていたのです。その船が爆撃されて沈んじゃった》
《円地 でも、運がいいですねえ。
吉行 笠置さんがブギウギで大スターのころ、日劇の楽屋でインタビューしたことがあるんです。
小田島 「モダン日本」のころ。
吉行 そう。きちんとした、遅れそうにない人だったですよ(笑い)。
山本 それが上野へ遅れてきた。それで結局、待っていたために爆撃に遇わずにすんだ、と》
ちょっとしたことで助かったり、助からなかったり。ふだん遅刻しない人が遅刻したおかげで沈む船に乗らずにすんだ。でも逆に遅刻したせいで沈む船に乗ってしまうこともある。戦時中ではないが、今だって人はこうした運不運の分れ道を歩んでいる。人間万事塞翁が馬。だから遅刻に寛容になろうという話ではなく、いやまあそういう話だ。
あと昔の日劇の話で山本紫朗が踊り子にヘソが出る衣装を着せようとしたら、みんな泣いて怒ったという話も時代のちがいを感じた。ところが、ミニスカートが流行したときは平気ではいた。そのあとヘソを出すことに抵抗がなくなったと……。