雪が降ったかとおもえば、最高気温十七度になって、またここのところ寒い日が続いて……しんどい。でもなんとなく春が近づいている気がする。最近、メールの返信がとどこおりなくできるときは調子がいいことがわかった。
土曜日、西部古書会館。積ん読本が増えていく。書こうとおもっていたことも書かないまま霧散していく。古書会館、完全にコロナ禍前の雰囲気に戻った。初日の午前中に行ったら、いつも入口のところにあるカゴがなくなっていた(※カゴがなくなるくらい盛況だったという意味です)。しばらく散歩して昼すぎにもう一度行く。『波』(新潮社)の臨時増刊号「新潮現代文学読本」(一九七八年八月)など。
『波』の臨時増刊号、丸谷才一「文学全集の話」を読む。ここで筑摩版「現代日本文学全集」にふれている。
《文壇型全集といふことも説明したほうがいいかもしれません。それはつまり、文壇の評価を極度に重んじてゐるといふことですね。その好例としては、正宗白鳥が二巻も占めてゐるといふことがある。谷崎潤一郎が二巻。これなら当り前です。読者の人気もよく、文壇の評価も高まつてゐた。しかし白鳥のものなど、一般読者にとつてどんな意味がありますか》
この全集は臼井吉見が総指揮の形で作られた。丸谷才一も「臼井さんは狭義の文壇人ではかならずしもなかった」ので「柳田国男に一巻、折口信夫(釈迢空)にも一巻なんて、そんな途方もない文学全集を編むことができたのです」と筑摩の全集を称賛している。
臼井吉見は旧制中学時代に雑誌で正宗白鳥の短篇を読み、それから文学に傾倒するようになったという話をくりかえし書いている。全集に白鳥が二巻はどうかなという気もしないではないが、臼井吉見にとって、そのくらい白鳥は特別な作家だった。まだ自分の進路が定まっていない、この先どう生きていくかわからない時期に読んだのも大きいだろう。
日本で新型コロナウイルスの最初の感染者のニュースが流れたのが二〇二〇年一月中旬——三年ちょっと。その日の感染者数を伝える報道も気にならなくなった(ずいぶん前からだけど)。高円寺の夜のにぎわいもコロナ禍前に戻った。 マスクはコロナ対策というより、防寒対策で今はしている。
今月末(二月二十八日)で東京メトロの回数券の販売が終了する。わたしは十二枚つづりの時差回数券(二百円区間)を利用していた。神保町に行くとき、時差回数券は東京メトロ東西線の中野駅から九段下駅までのルートでよくつかう。高円寺駅からだとJR中央線で御茶ノ水駅というルートが早いのだが、時差回数券をつかうと片道五十円くらい安い。九段下から神保町の間にも古本屋がけっこうあるので何軒か回れる。
たかが五十円とはいえ往復すれば百円、均一の文庫一冊分である。そんな小さな節約が本代珈琲代飲み代になる。もっと働けよという意見にたいしてはごもっともと受け止めたい。