最近、仕事をしていると記憶が虫食い状態になることに気づいた。忙しい時期は日々のことをほとんど覚えていない。働いて疲れをとってまた働いてのくりかえし。一週間二週間あっという間に過ぎてしまう。
九月二十七日水曜。JR中央線で御茶ノ水駅、坂を下って神保町。均一で『説教集 新潮日本古典集成』(新潮社、一九七七年)を買い、新刊書店を回り、神田伯剌西爾でアイスコーヒー。
『説教集』は「をぐり(小栗判官)」が目当だったが、「しんとく丸」も面白い。
すこし前に『江古田文学』第百十一号(二〇二二年十二月)の特集「小栗判官」を入手していた。『江古田文学』は特集に独自色がある。バックナンバーが気になる。
美濃路の青墓のあたりのことを調べていて、「小栗判官」の舞台が美濃廻りの東海道、さらに熊野道(小栗街道)も舞台と知り、気になった。
『説教集』の「をぐり」は美濃の国・墨俣からはじまる。
東海道の藤沢宿を調べていたとき、「小栗判官」や「説経節」の話がいろいろ出てきたのだが、そこから掘り下げようとはおもわなかった。橋本治も『もうすこし浄瑠璃を読もう』(新潮社、二〇一九年)で「小栗判官」を取り上げている。
『江古田文学』の特集を読んでいておもったのは、中世の人々の命の軽さである。戦、災害、病、飢饉――毎日が命がけといっても過言ではない。
旅もそうだ。まともな地図もなければ、安全な道はどこにもない。行ったことのない土地であれば、目的地そのものが漠然としている。
はるか昔の話とはいえ、現代においても世界を見渡せば、中世くらいの感覚で暮らしている人々はいくらでもいる。今の日本でも状況(境遇)によっては、古代や中世の人と変わらぬ感覚が表出することがあってもおかしくない。
善悪の価値、命の重さ軽さ、わたしはそうしたものに普遍性があるとおもって暮らしているが、そうではない。
小栗判官は京都でいろいろやらかして常陸(茨城県)に流され、相模の国の照手姫の噂を聞く。中世は常陸も東海道に属していた。
毒をもられ、冥界へ行き、餓鬼阿弥として生き返った小栗は、上野が原(神奈川県藤沢市)から東海道を西に向かう。
酒匂の宿、足柄箱根、伊豆の三島、浮島が原、富士川、清見が関、三保の松原、田子の入り海、駿河の府内、丸子の宿、宇津の谷、藤枝、島田、大井川、佐夜の中山、日坂峠、掛川、袋井、池田の宿、今切、吉田、赤坂、矢作、鳴海、熱田の宮……。
ここから杭瀬川、青墓と美濃廻りの東海道という道行になる。
東海道中、各地の宿場、名所、歌枕の地を通り抜ける。精密な地図、写真もなかった時代、説教節の道中語りは見せ場、聞かせ場だったのではないか。