2024/03/06

古木と徳廣

『宇野浩二全集』十二巻「文學の三十年」は話が行ったり来たりし、重複箇所も多い。でも筆の勢いで読まされてしまう。知っている名前と知らない名前が次々と出てくる。

《私が、本郷菊坂の菊富士ホテルの一室を仕事部屋のつもりで借りて、そこで殆ど寝起きするやうになつたのは、前にも書いたやうに、大正十二年の四月頃からで、それが五年ほどつづいた。
 川崎長太郎と田畑修一郎を初めて知つたのは、殆ど同じ時分で、大正十二年か十三年頃である》

 宇野浩二は菊富士ホテルの部屋を探すとき、すでに同ホテルにいた高田保を訪ねている。

《それから、これは、たしかに、大正十三年の五月の或る日、この菊富士ホテルの一室で、私は、かういふ人々と逢つた。逢つた順に書くと、中村正常、古木鐵太郎(今の古木鐵也)、柴山武矩、中河與一、その他である》

 そのしばらく後にも「古木」の名が出てくる。

《「改造」の記者といえば、たしか古木が引いてから、古木の代りに、私の係のやうになつて、私のところに来たのは、徳廣巖城であつた。初めに来た頃は、徳廣は、まだ大学生であつたやうに思はれる》

「徳廣」は高知生まれの私小説作家(中央線文士)の本名である。