木曜日、珍しく早起きしたので午前十時すぎ、西部古書会館初日。両端の棚が混雑していたので中央の棚から見ると、宇野浩二著『文學の三十年』(中央公論社、一九四二年)があるではないか。早起きしてよかった。リーチ一発ツモの気分だ。
過去何度となく背表紙を見てきたのだろうが、手にとったことはなかった。興味がないと目に入らない。目に入っても手にとらない。たぶん本にかぎった話ではない。
単行本は冒頭の六頁が写真。巻末に写真解説もある。装丁は鍋井克之(天王寺中学時代からの宇野浩二の友人)。
古木鐵太郎著『大正の作家』(桜風社、一九六七年)の「宇野浩二」を読む。
《宇野さんは話好きだ。いったんなにか話し出すと、口を突いて出るような感じである》
《宇野さんの話を聞いていると、よく脇道にそれていって、はじめの話はどこへ行ってしまったのかと思うようなことがあるが、長い話の後に、ぐるっとまわって再びもとの話にもどってくるから面白い》
『大正の作家』の巻末に大河内昭爾の「跋 古木鉄太郎」が収録されている。
古木の没後刊行された『紅いノート』の記念会に谷崎潤一郎の『痴人の愛』のモデルといわれた小林せい女史がいた。
《小林せい女史は宇野浩二氏の「文学の三十年」(中央公論社刊)にも出てくるが、それには芥川竜之介、宇野浩二、久米正雄、里見弴氏らにかこまれた写真まで掲載されており、大正文壇では相当派手な存在だったことが想像できる》
この写真について『文學の三十年』では「人物は、むかつて右から、芥川、せい子(当時の谷崎潤一郎夫人の令妹)、宇野、里見、久米、である」と解説している。
よくあることだが、わたしは『大正の作家』に『文學の三十年』という書名があったのに読み飛ばしていた。
『文學の三十年』は大正から昭和初期にかけての文学の世界が描かれている。自分が文学に興味を持ちはじめたとき、この本の中に出てくる人物はほとんど故人だった。そうした作家が二、三十代の若々しい姿で登場する。百年前の文学が身近におもえる。
菊富士ホテル時代、宇野浩二はそのころ時事新報の記者だった川崎長太郎と親しくなる。宇野は川崎の師の徳田秋聲の(当時の)恋愛小説をよくおもってなかった。
《それで、その事を川崎にいふと、そのたびに、川崎は強く反対した。しかし、いくら川崎が反駁しても、私も飽くまで自分の意見を述べた。ところが、私がいかに理を説きつくしても、川崎は決して彼の反対意見を撤回しなかつた。(中略)ずつと後に、川崎が、その頃の話をして、あの頃は、誇張していへば、帰りに、悲憤の涙をながした、と云つた》
相手が大先輩だろうが、文学に関しては意見を曲げない。川崎長太郎らしい。
その後、川崎長太郎は一九二四(一九二五?)年に「無題」を書いて作家として世に出る。宇野は川崎の小説を読み、彼の苦労を知る。
《川崎のために、心の中で、杯をあげた。——》