若いころは元気いっぱいの日と疲労困憊の日の差が大きかった。その分、気分の浮き沈みも激しく、感情の制御がむずかしかった。年をとると元気な日は皆無となり、やや不調と不調の間を行ったり来たりするようになる。喜怒哀楽そのものが弱くなる。いちおう、わたしの場合と付け加えておく。
十一月二十六日(水)、午後三時半、どこに行くか決めずにふらっと家を出る。ふと永福町に行きたくなった。
すこし前に地図を見ていて、高円寺と阿佐ケ谷の間にある馬橋通りをそのまま南に歩いていけば、永福町に行けることがわかった。JR中央線の高円寺駅と京王井の頭線の永福町駅は京王バスが走っている。これまでバスとほぼ同じコースを歩くことが多かった。
エトアール通りを西に進み、馬橋通りを南に行く。青梅街道と五日市街道を渡り、松ノ木三丁目を歩く。神子島米店でサケのおにぎり(ミカンをおまけしてもらった)を買う。神子島で「かごしま」と読む。弁当もうまそう。
そこからちょっと南に向かうと善福寺川(遊歩道は工事中)があり、大松橋を渡る。
橋を渡ると大宮夕日が丘広場、和田堀公園観察の森があり、すぐ近くに杉並区立郷土博物館がある。午後四時半。郷土博物館で「特別展 昭和歌謡は杉並から生まれた テイチク東京吹込所物語」(十二月七日まで)を見る。百円。パンフレットも買った。
テイチク(帝国蓄音器商会)は一九三二年奈良市に設立。同社の東京吹込所は一九三四年杉並区堀ノ内に開設された。
会場でエト邦枝「カスバの女」、田端義夫、白鳥みづえ「親子舟唄」などの映像を見る。展示されていたレコードジャケットを眺めているだけで楽しい。会期中、もう一回行きたい。
田端義夫は三重県松阪市出身(一九一九年生まれ)。一九八〇年代半ばごろ、郷里の鈴鹿市内でポスターをよく見かけた。近鉄沿線の小さなスナックでリサイタルをやっていた記憶がある。
荒玉水道道路をすこし歩いて国府道、方南通りを渡り、大宮八幡前の信号のところの分かれ道の東のほうに進む(西は荒玉水道道路)。家に帰って東の道は瀬田貫井線という名前と知る。そこから南に行くと永福町駅前。前に永福町に来たのはいつだったか。リトナード永福町のカルディに寄り、啓文堂書店永福町店で新刊の文庫をチェックし、三階の広場で南西方面の夕焼けと富士山を見る。
四階の屋上庭園(ふくにわ)から東京タワー、新宿副都心、ドコモタワーを見る。
日没になったので夜景も堪能できた。
キッチンコート永福町店(京王ストア)でインスタントコーヒー、スガキヤの袋麺(三個)、浜松餃子などを買い、午後五時半のバスで高円寺に帰る。永福町〜高円寺間はバスだと二十分ちょっと。徒歩+バスの散歩は面白い。