2007/09/07

風太郎一過

 関東に台風が上陸中、山田風太郎を読む。頭がぼーっとする。背中がだるい。中学三年生のときに自転車で転んだ。そのときにできた左足のひざの傷が痛くなる。

《文壇とは縁を持たない巨匠、生まれながらの反近代主義者、そして学ぶべき戦中派》

 関川夏央は『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)の中で山田風太郎のことをそう評した。

 布団の上に横たわったまま、数頁読んでは、テレビの台風情報をぼーっと見る。本来、ごろごろしながら、本を読むのは楽しいはずなのだが、集中力が欠如しているとあんまりおもしろくない。
 でも山田風太郎の晩年のインタビュー三部作を読むときは、膜がかかったような、ぼんやりした頭で活字を追うのもわるくない。インタビューだから、読もうとおもえば、さくさく読める。一冊読むのに二時間もかからない。でも『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所)はどういうわけかなかなか読み進めることができない。

 それで寄り道して『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)を読んだのだが、そこでおもいがけず、山田風太郎の次の言葉に出くわした。

《ぼくは山本夏彦さんを尊敬しているんだよ。昔、辻潤や武林無想庵のことを小説に書こうと思ったことがある。戦前戦中のあんな時代に、われわれとは全然別の人生を送った男たちがいる。そこにひかれたのだが、山本さんが当時そういった人々のごく身近におられたとは知らなかった。で、傑作『無想庵物語』を書かれたので、あきらめたわけだ》

 この夏、わたしは山本夏彦の全著再読を試みていたのだが、仕事が忙しくなって、中断していた。

 山本夏彦のコラムは、鮎川信夫、田村隆一といった「荒地」の詩人も愛読していた。学生時代にお世話になっていた玉川信明さんからも「山本夏彦は読んだほうがいいですよ」といわれたことがある。
 もちろん本になっているものはことごとく読みあさり、たちまち夢中になった。
 二十五歳のときに手紙を出して、会いにいったこともある。そのとき『ダメの人』(中公文庫)のサイン本をもらった。
 山田風太郎のこの発言は、読んだはずなのに完全に忘れていた。

 次は山本夏彦の再読だ、と心に決める。
 その前に『ぜんぶ余禄』は読みきろうとおもっているが、語られている内容は『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)とかなり重複している。
           *
 一夜明け、今日もまた早起する。
 台風の被害はおもったほど大きくなかったようだ。
 台風のニュースが気になるのは、子どものころ住んでいた長屋がしょっちゅう雨漏りしたせいかもしれない。あと停電もよくあった。
 『ぜんぶ余禄』は、とりあえず読了したが、読んだはしから内容を忘れてしまうような本だとおもった。

 色川武大の『怪しい来客簿』は読みましたかとの質問に山田風太郎は「なんだかよくわからなかったな。みんな、わかったのかな」と答えているのがおもしろかった。
 結局、自分の関心のあることしか頭に残らないということか。