先週の西荻窪の「昼本市」で、山田風太郎の『風眼抄』(六興出版)を買った。中公文庫版はもっていたのだが、六興出版小B6シリーズは、なぜか所有欲をそそられる。
この『風眼抄』には、「ある古本屋」というエッセイがある。山田風太郎のエッセイの中でも、好きな作品だ。
山田風太郎は「斎藤古本屋」から本を買っていた。
《斎藤古本屋といっても、そういう古本屋の店があるわけではない。たった一人のかつぎ屋である。私のところばかりでなく、あちこちの作家のところへ出入りしていたようだから、御存知の方は御存知かも知れない》
この古本屋は、青森県生まれで、山田風太郎よりも十何歳か年上。少年時から神田の古本屋の小僧をし、戦中はシベリアに出征し、戦後、ずっと店を持たず、ひとりで古本を仕入れては、作家や学者の家に訪問販売し、生計を立てていたそうだ。
「斎藤古本屋」は、山田風太郎に昼食はコッペパンだけだといった。
《終戦からしばらくの間、私はまだ学生で間借り、向こうはコッペパンの付きあいであったが、そのうち私が独立して家を持ち、十年ごとに書庫が倍の広さにひろがってゆくのを、彼はわがことのようにうれしそうに眺め、かつ、ときに憮然たる表情になっていることもあった》
わたしは古本のかつぎ屋という商売のやり方があることを、このエッセイではじめて知った。
何十冊もの本を風呂敷で包んで売り歩く。
さすがに今、こんな古本屋さんが家に来たら、びっくりするだろう。
古本のかつぎ屋だったおじさんは、何冊くらい本を持ち歩いていたのだろうか。一日何軒くらいの家をまわっていたのだろうか。
このおじさんにキャスター付のカバンをプレゼントしたい気持になった。
今月は山田風太郎エッセイの読書月間みたいになってしまったが、徐々に、からだにその感覚が作用しはじめているようだ。すくなくとも、酒量は増えた。
ただ山田風太郎の座右の銘の「やりたくないことはやらない」という方針は、今の生活には適用できそうにない。
やらなければ滞ってしまうことを片付けた後のすっきりした気分はけっこういいものだ。そんなふうに無理やり自分に言い聞かせながら、この連休も仕事する。
ちょっと荷物を軽くしたい気分である。