東京に戻ってから、中野高円寺阿佐ケ谷を散歩する以外、ほとんど家でごろごろしていた。体力と気力の回復に専念。脳細胞が減った気がする。
休日にやりたいこと掃除と本のパラフォンがけというのはどういうことなのか。欲望とか意欲とかそういうのがないといかんとおもう。気がつくと、古本屋通い、本を読むことが惰性になってしまう。
過去にも新しいことに興味がもてなくなる時期があった。そういうとき、どうしていたかというと将棋とか音楽とか漫画とかに走っていた。でも、それもすぐマンネリ化する。
新しいことをはじめたいなとおもうと、人があんまり興味をもたないような地味なことだったり、すっとんきょうなことだったり、なんとなく、すきま産業みたいなことになってしまう。なんかちがうぞとひっかかる。マイナーなことはもういいや。夜中、ふとそんなことをおもう。年に何回かそんな気持になるのだが、結局、自分は地味なものが好きなことを再確認する。
十年二十年といい仕事を続けている同業者をいろいろ見ていておもうのは、サービス精神が旺盛な人が多いということだ。自分のこと以外にも、時間、金、労力を払っている。いろいろな損を引き受けている。自分のやりたいことをやろうとおもったら、恩や義理の積み立てがあるのとないのとではずいぶんちがう。遠回りが近道というか、なんというか、経験を積むと、いろいろ処理速度が上がる。処理速度が上がると、これまで無理だったことが、無理ではなくなる。とはいえ、無理しすぎると潰れてしまう。
そういうことも経験を積まないとわからない。年に何回か、仕事量を増やして、自分の限界に挑戦してみようという気持になる。ちょっと忙しくなると仕事を断り、その後、まったく依頼されなくなって、気がつくと生活に困るということを繰り返してきた。若いころ、もうすこし無理していたらよかった。無理をすることによって身につく能力を軽視していた。
仕事にとりかかるまでに時間がかかりすぎる。四十前にして、この問題に取り組むのはけっこうきつい。