神保町を散歩。東京堂書店のふくろう店の畠中さんに挨拶してから、巌松堂の閉店セールに行く。単行本三百円全集半額。棚の本はかなり減っていたが、それでも「これが三百円?」とおもうような本がまだまだ残っていた。
巌松堂は均一台の本ばかり買っていたが、それでも神保町に行けばかならず寄る店だった。
週一回、巌松堂、田村書店、小宮山書店の均一を見て神田伯剌西爾でコーヒーを飲む。それから小諸そばでから揚げうどんを食う。帰りは岩波ブックセンターの並びの古本屋に寄りながら九段下に向かう。
東京メトロ東西線で九段下駅から中野駅で降り、中野ブロードウェイに寄り道して高円寺に帰る。
秋以降、中野から高円寺までよく歩くようになった。
『本の雑誌』の十二月号で、坪内祐三さん、古書現世の向井透史さんとわたしの対談が掲載されている。向井さんとの対談は、西荻ブックマークのときの再録である。
東川端参丁目さん、松田友泉(u-sen)さん、橋本倫史(HB編集人)さんの鼎談もある。リード文に「第二の荻原魚雷を夢みる」云々とあるが、絶対に夢みてないとおもう。
二十代のころのわたしはまったくハキハキしたところがなく、やる気のない若者だとおもわれていた。
たぶん、そういう性格はなかなか変えられない。「こいつはだめだ」とおもわれている場所にいるとますますだめになる。編集者と打ち合わせをしていても「ああ、自分は何も期待されていないなあ」とおもったり、「場違いなところに来てしまった」と悔やんだりしてしまう。
ほんとうは見返してやるくらいの気持があったほうがいいのだろうが、一度だめなやつというレッテルを貼られてしまうと、ちょっとやそっとのことではその印象を変えられない。
相手の認識を変えさせるのは、自分の性格を変えるよりもむずかしい。
しかし百人中九十九人にだめだといわれても、一人くらいはおもしろいといってくれる人がいる。そういう奇特な人を探すしかない。仕事につながらなくてもいい。
できれば自分もそういう奇特な人間になりたい。
一般受けしないおもしろさを発露する場に飢えている人はけっこういる。そういう人と手を組んで、お互いに自分たちの(わかりづらい)得意ネタを引き出し合う。そうこうするうちに相手のツボもわかってくる。
不特定多数を相手にすれば、萎縮して何もいえなくなるけど、徐々に身近なあぶれ者(お互い様)を楽しませることができるようになる。「これをおもしろいとおもっている人間は自分だけではない」という自信がつく。そうすると、これまで萎縮していた相手にたいしても、すこしずつ立ち向かっていけるようになる。
わかりやすい才能がない人間は「一般受け」ではなく「内輪受け」をどれだけ広げていけるかに賭けるしかない。
では、どうすれば「内輪受け」を広げられるのか。