書きかけて中断しているものがいくつかある。答えがないまま、書きはじめているせいだ。
答えを出すということは、何か切り捨てることでもある。何かとは躊躇、逡巡、葛藤、その他もろもろの煮え切らない気持といってもいい。
どんなに迷っていても、将棋であれば、次の一手を選ばなければならないし、麻雀であれば、牌を捨てなければならない。
しかし人生の場合、自分の手番なのかどうかすら、わからないことが多い。
煮え切らない人というのは、同じことをくりかえし考える癖がある。
とにかく決断しなければ、先に進むことができない。
答えを出すことを先送りにしているうちに、いろいろなことがうやむやになる。だからいつまでも迷い続けてしまう。
目標やゴールを設定し、それにむかって邁進する。
わたしはずっとそういう生き方が苦手だった。
決断することの大切さは痛感している。
だけど、でも、うーん。
性格や体質はそうすぐには変えることができない。立ち止まってしまうと、だんだん動くことが億劫になる。かといって、自分のペースを無視して動こうとすれば、すぐ息切れしてしまう。
そのいっぽう、三十代後半あたりから、煮え切らなさを持続することがしんどくなってきた。
ときどき、中断したまま、うやむやになっていることを切り捨てて、楽になりたいとおもう。
同じ場所に立ち止まっていると、下り坂から転がり落ちてしまうのではないかという不安もある。ところが、書こうとして書けなかったことの未練が重しになって、どうにかふみとどまっているようなところもある。
……というわけで、未完。