土日、高円寺は阿波踊り、あいおい古本まつりもあったのだが、家から出ず、仕事をしていた。ずっと家にこもっていると、なにゆえ、中央線沿線に部屋を借りて、安くない家賃を払い続けているのかとむなしくなる。
すこし前に新聞の短評欄で紹介文を書いたのだが、ロバート・ヘンライ著『アート・スピリット』(野中邦子訳、国書刊行会)は、素晴らしい本だ。若い芸術家に向けたアジテーション、励ましが、ぐっとくる。アナーキストっぽいところも気にいった(ヘンライは、エマ・ゴールドマンの肖像画を描いている)。会う人会う人にすすめているのだが、大きな書店に行かないと見つからない。
《われわれがここにいるのは、誰かがすでになしとげたことをなぞるためでない》
《芸術を学ぶ者は最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。いま現在、自分らしさを保っていられれば、将来かならず巨匠になれるだろう》
最近、こういうことをいってくれる大人がすくなくなった気がする。「自分らしさ」とか「個性」とか、ちょっとかっこわるい言葉にすらなっているかもしれない。
わたしも四十歳をすぎ、それなりに常識やバランス感覚を身につけた。でも心の中では「巨匠」のつもりでいなければならない。誰ひとりとして「巨匠」扱いしてくれなくても、自ら卑屈になってはいかんとおもった。
『アート・スピリット』の中にあったヘンライの箴言には、はっとさせられる言葉、ある意味、耳に、目に痛い言葉が頻出する。
《表現したいことがあるのに、技術の習得にばかり熱心な人間は、表現に必要な技術をけっして身につけられない》
《語りたいことが身のうちにあふれているのに、言葉の使い方がわからない。そうなって初めて、その言葉を習得すればいいのだ》
文章を書く仕事をはじめたころ、技術に頼ろうとしすぎて、一時期、自分本来の文章が書けなくなってしまった。そのうち文章が活字になっても、まったく読む気になれなくなった。
仕事に追われて、自分を磨り減らす。
気がつくと、目の力が弱くなって、どんよりとした顔になってくる。
自分もそうだが、同世代の知人にもその兆候を発見することがある。