すこし前に、「ある仕事につく」だけでなく、「ない仕事をつくる」という発想があったら——と書いて、途中で筆を置いた(キーボードを打つのをやめた)。
ここのところ、地方都市のことを考えている。地方は、昔から堅実な職に就く以外の選択肢が少ない。とくにこの十年くらいは、大手のチェーン店が乱立し、零細の自営業が苦戦するという構図もある。
旅先の地方都市で「ここはいいところだなあ」とおもう。そんな感想を述べると、よく「でも仕事はないですよ」といわれる。
なぜ仕事が「ない」のだろう。
人口が少ないからだろうか。
とはいえ、昔、もっと人口が少なかったときにも仕事はあった。
人口の多い少ないの問題(だけ)ではない。
たまに郷里(三重県鈴鹿市)に帰ると、行きつけの喫茶店、文房具屋はすでにない。
文房具は、コンビニか100円ショップで買う。
わたしは某メーカーの1・0ミリのジェルインクのボールペンを愛用しているのだが、それはコンビニ、100円ショップでは売っていなくて、とりあえず、間に合わせのもので妥協した。
文房具屋がなくなったら、パラフィン紙はどこで買えばいいのか。
地方のコンビニや100円ショップでパラフィン紙を置いても、まず売れない。
古本屋や中古レコード屋で、稀少本やレア盤を置いていても、近所の人は滅多に買わないだろう。
郷里に帰ると、ふらっと立ち寄って、趣味の話ができる店がない。
昔、行きつけだった喫茶店もなくなった。
もしわたしが郷里に帰って、コーヒーが好きで喫茶店で働きたいとおもったら、「ある仕事」だとチェーン店のアルバイトしかない(たぶん年齢制限その他の理由で不採用だろう)。
では、古本や中古レコードの話ができるような喫茶店を自分で作ったらどうか。
もともとそういう趣味の人があまりいない土地だから、お客さんは来ない。すぐ潰れるだろう。
「ないもの」はたくさんある。ただし「ないもの」を売ったり、作ったりしたとき、その需要があるかどうかは誰にもわからない。
五年、十年、二十年というスパンで考えると、昔、なかったものができたり、あったものがなくなったりしている。
そう考えれば、ないものができる可能性はいくらでもある。またなくなったものを新たに甦らせる余地もある。
今、「ないもの」を作るためには、何が「ない」のか知る必要がある。
それはどうすれば知ることができるのか。
(……続く)