2013/07/19

ある仕事とない仕事(二)

 夏バテ対策のため歩く。歩いて暑さにからだを慣らす。といっても、日中ではなく、散歩の時間は午後六時以降である。
 蒸し暑い日もあるが、この時間帯の風は気持いい。

 みちくさ市のトークショーは、予想(理想?)通り、五っ葉文庫の古沢さんが喋り、わたしは相づち役という展開になった。
 古沢さんは愛知県犬山市で「きまわり荘」というギャラリーと古本屋を運営し、「痕跡本」以外にも、本に関する新機軸のイベントを次々と企画している。
「日本一よく喋る古本屋」としても有名である。
 この日も「最近、人の話を聞くようにしているんですよー」といいながら、ずっと喋り続けていた。

 打ち上げも楽しかった。あまり話ができなかったが、隣にインターネット古書店のドジブックスさんがいた。帰りの電車も新宿まで いっしょだった。別れた後、すこし前に中央線沿線の三十代の古本屋さんがドジブックスさんのことを絶讃していたことをおもいだした。
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 世の中には、就職情報誌やハローワークでは見つからない仕事もたくさんある。それも「ない仕事」といえば、「ない仕事」だろう。
 他の地方と比べたら、東京にいると、そういう仕事は見つけやすい。ただし、東京にいても、探さないと見つからない。

 上京してよかったことのひとつは、いろいろなジャンルのプロに身近で接することができたことだ。
 二十歳前後でフリーライターをはじめたころ、五、六歳年上のフリーの仕事をしている人で、年収一千万円くらい稼いでいる人が何人もいた。
 だからといって、わたしも五、六年後にそのくらい稼げるようになるとはおもわなかったが、あの人が一千万円だったら、自分も三百万円くらいは稼げるんじゃないかと楽観できた。
(その後、バブルがはじけ、出版不況になって、その思惑は外れた)

 本棚の整理をしていたら、『本の雑誌』の二〇一一年五月号が出てきた。

 わたしの原稿は震災前の三月はじめに書いたものだ。
 連載で紹介したのは、プレス75の『趣味で儲ける若者企画集団のすごい利益』(ワニブックス、一九七七年刊)という本である。

《プレス75というのは、戸井十月が主宰していたフリーライター集団。わたしが十九歳でフリーライターをはじめたころ、お世話になった人もこの本のスタッフだった》

 わたしは原稿の中でこんなことを書いた。

《今、就活中の学生は何十通もエントリーシートを書いて、試験を受け、面接を受け、わけがわからないまま不採用になる。そんな彼らを見ていると、もうすこし自分で自分の仕事をつくるという〈感覚〉と〈行動力〉があってもいいのではないか》

 この〈感覚〉と〈行動力〉について、もうすこし細かく書いてみたいとおもうが、飲みに行きたくなったので、続きは後日。

(……続く)