東京堂書店で岡崎武志著『ここが私の東京』(扶桑社)刊行記念(対談 岡崎武志×牧野伊佐夫)のイベントに行った。
牧野伊佐夫さんは『ここが私の東京』の表紙、挿画も手がけている。
佐藤泰志、出久根達郎、庄野潤三、司修、開高健、藤子不二雄(A)、友部正人、石田波郷、松任谷由実、富岡多惠子、そして最後に岡崎さん自身の上京物語——。
東京堂書店での対談では「明暗」でいうと「明」の部分をおもしろおかしく語っていたが、「これが私の東京物語」では、上京するまでの「暗」の部分も綴られている。
『ここが私の東京』は、登場する人物のエピソードを掘り下げつつ、彼らが上京したころの時代背景も描いている。調べたことの半分以上は書かなかったとおもう。
話は変わるが、わたしの父も昭和三十年代に鹿児島から上京している(『ここが私の東京』の出久根達郎さんとほぼ同時期だ)。ベニア板の工場から電気工場、それから自動車の部品を作る工場……。東京、静岡、三重と太平洋ベルト地帯に沿って仕事を変えた。東京時代の話は、ほとんど聞いたことがない。
給料が安くて、服や靴が買えなかった。月に一本映画を観ることだけが愉しみだった。
父は鈴鹿で母と知り合い、一九六九年の秋にわたしは生まれた。家は長屋だった。
一九八九年春に上京した。最初は、東武東上線の下赤塚、その年の秋に高円寺に引っ越した。
大学に通いながら、ライターの仕事をはじめた。仕事がおもしろくなって、大学を中退した。高円寺の風呂なしアパートに暮らし、古本屋と喫茶店と飲み屋をぐるぐるまわる日々を送っていたころ、岡崎さんと知り合った。
「これが私の東京物語」に高円寺の飲み屋「テル」の話が出てくる。わたしは丸めがねでおかっぱ頭の、声の小さな若者の「魚雷くん」として登場する。
そのころのわたしは二十五、六歳、岡崎さんはひとまわり年上なので三十代後半だった。ときどき「もし上京しなかったら?」「高円寺に住まなかったら?」と考える。
フォークが好きだった岡崎さんは、高円寺に憧れて上京した。
この本の中にも中央線沿線の町がよく出てくる。
今とは時代がちがう。それぞれ東京にたいするおもいもちがう。だけど、「上京者」には、どこか共通しているところもある。
生まれ育った町を出て、上京する。ありふれた話だが、そこにはひとりひとりの特別な物語がある。