2016/04/09

私一個の見解 その一

 日々の仕事や家事に追われて、新しいこと、やってみたいことに取り組めない。もう四月か。早い。こんなに早かったら、あっという間に一年すぎて、また齢をとってしまう。
 それでもだらだらと本を読む。本の中の言葉にすこしだけ背中を押される。考えているひまがあったら、からだを動かせ——というようなことが書いてあった。そのとおりだ。ただ、その動くための時間が、細切れでバラバラだから、形にならない。

 鮎川信夫著『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社)を読み返す。とくに最後の「『たしかな考え』とは何か」は何回読んでも身にしみる。

《物かきが、書くことに興味と自信を失ってしまえばおしまいである。物かきとして、おしまいなだけでなく、人間としておしまいであると思っている。にもかかわらず、そうした虚無感におそわれることは、しょっちゅうある》

「一人のオフィス」の連載(『週刊読売』)は一九六六年——鮎川信夫が四十五歳から四十六歳のときだ。「私一個の見解」を書くことがこの時評の軸だった。

「私一個の見解」は、どこまで「私一個」のものなのか。何を書いても、すでに似たようなことは誰かがいっている。自分の「見解」とおもっていることも、どこかの誰かの意見をそのままトレースしているだけの可能性もある。
 それ以上に「私一個の見解」を伝わりやすいように、あるいは反論がしにくいように、無難なものにしてしまうことが多い。

……続く。