八月九日、吉祥寺SCARABで「夕涼み『オグラ三弦楽団』リサイタル」を観る。オグラさん、ピアノが原めぐみさん、コントラバスは新井健太さん(東京ローカルホンク)という「オグラ文化祭」でおなじみのメンバー構成。いいライブだったですよ。音楽の中にオグラさんが考えたこと——変わらない部分も変わった部分がつまっている。いろいろな音楽がまざりあい、「円熟」や「洗練」もされているのだけど、それ以上に「変」や「不思議」に磨きがかかっている。
十日、三重に帰省。凍結されていた父の銀行口座の問題がようやく解決する。
鈴鹿ハンターのゑびすやで天ぷらうどんを食い、二階のステップで衣類を買う。ハンターの近くにぎゅーとらというスーパーもできていて、大黒屋光太夫あられ(北野米菓)も買った。
母に鈴鹿ハンターができる前は、どこで買い物をしていたのか訊く。ハンターはわたしが幼稚園のときにできた。それ以前の記憶がない。
「ハンターの前は平田駅前にジャスコがあった」「個人で野菜や魚を路地で売っている人もいた」
ハンターのすぐそばにはアイリスというションピングセンターもあったが、いつの間にかなくなった。
夕方、港屋珈琲でアイスコーヒーを飲む。行きの新幹線からずっと橋本治著『ぼくらの東京物語 貧乏は正しい!』(小学館文庫)を読み続ける。名著だ。三重を離れて二十七年のあいだに自分が通っていた喫茶店はなくなった。ドライバーという喫茶店で父は毎週のように通っていた。焼いたトーストに卵焼きをはさんだ卵トーストサンドが絶品だった。あとチャーハンも美味しかった。
夜、テレビでナイター(ヤクルト中日戦)を見る。副音声でサカナクションの山口一郎が出演していた。中日ファンだったのか。知らなかった。
朝七時くらいまで眠れず、起きたら昼。母に怒られる。
近鉄電車で白子駅でいったん降りて、海を見る。それから特急で丹波橋まで、京阪に乗り換え出町柳に着いたのは夕方四時すぎ。下鴨古本まつりに行く。そのあと六曜社でコーヒーを飲んで、高瀬川のベンチで汗だくになったシャツを着替えてぼーっとしていたら、林哲夫さんと会う。ディランセカンドで善行堂の山本さんの還暦祝い(?)のイベントの二部に出席した。
クジ引きがあって『京阪神 本棚通信』をまとめた冊子(山本さんの連載「天声善語」も所収)が当たった、というか、選んだ。
そのあとレボリューションブックス(お酒が飲める本屋)で、扉野良人さん、東賢次郎さん、世田谷ピンポンズさんらと飲む。世田谷さんから『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(ハルキ文庫)の増山実さんを紹介してもらう。
チューダー、トキワ荘のキャベツ炒めなどのメニューがある(チューダーは売り切れだった)。
この日は久しぶりに東さんの家に宿泊。あいかわらず、秘密基地みたいな家だ。住みたい。
翌日、カナートまで東さんに送ってもらい、スガキヤのラーメンを食う。なぜ京都に来てまでスガキヤなのか。それから善行堂に寄る。自著にサインすると、山本さん、たまたま来ていたお客さんにサインしたばかりの本を売る。うらたじゅんさんの大きな絵を見る。ところどころ『sumus』の同人らしき人物も……。
進々堂でアイスコーヒーを飲んで京都駅。新幹線で東京に帰る。車内で『勇者たちへの伝言』読みはじめ、止まらなくなる。主人公は父といっしょに西宮球場に行って、阪急ブレーブスのファンになる。
しかし西宮球場もブレーブスもなくなってしまう。「勇者たち」は「ブレーブス」、副題の「いつの日か来た道」も別の意味がある。かけがえのない記憶を結晶化している。わたしも父といっしょに野球を観に行ったときのことをおもいだした。