2017/11/07

スロウ・アンド・ステディ

 もう十一月。三ヶ月くらい前に読んだ本がずいぶん昔に読んだようにおもえたり、逆に二年くらい前に読んだ本がつい最近読んだようにおもえたり……。

 吉行淳之介の『四角三角丸矩形』(創樹社、一九七四年刊)に「上林曉『春の坂』評」という書評がある。この本をはじめて読んだのは、大学時代——たしか中退した年の秋だから、今から四半世紀前。上林曉の名前をはじめて知った。

『春の坂』は上林曉の二十冊目(作家生活三十年目)の作品(当初は千部の限定本だった)で、吉行淳之介は「頑固でスロウ・アンド・ステディな個性の魅力がここにある」と評した。

 また私小説の「変質」について次のように述べている。

《以前は、社会生活に不適な作家が、どうにもならない状況に追い込まれ、その地点で頑固に自らの節を守っている姿勢に魅力があった。現在では、そういうものの影が薄くなり、別の魅力が現れてきたようだ》

 この書評の初出は一九五八年の『群像』。上林曉は、一九五二年一月、脳出血(一度目)で倒れている。『春の坂』所収の「カム・バック」は、軽い脳溢血で約三ヶ月間、筆がとれなかったのだが、再び創作をはじめる話である。

 上林曉に「木山君の死」という随筆がある。『草餅』(筑摩書房、一九六九年刊)所収。

《彼の不遇の時代は長かつた。しかし、その長い間をこらへる辛抱強さには我々は驚いた》

《彼は不遇の中にあつても、自分の才能に、強く頼むところがあつたにちがいない》

 木山捷平もまた「スロウ・アンド・ステディ」——ゆっくり着実に作品を書き続けた作家である。
 不遇でも続ける。続けるためには何が必要か。「自分の才能に、強く頼む」ことか。たぶん、そうなのだろう。

 部屋の掃除中、持っていたはずの『春の坂』を探したのだが、見つからない。買い直すしかないか。