2019/02/22

独学の愉しみ

 今週、川越街道を歩いた。筋肉痛だ。久しぶりに東武東上線の下赤塚にも寄った。三十年前、上京して最初に住んだ町だ。下赤塚、いい町だ。公園も多いし、植物園もあるし、城跡もあるし、東京大仏もいい。
 下赤塚の話(だけではないが)は四月くらいに出る予定のインディーズ文芸創作誌『Witchenkare(ウィッチンケア)』にも書いた。web本の雑誌の「街道文学館」にも書く予定だ。

『フライの雑誌』の最新号の特集は「小さいフライとその釣り」。趣味の世界というのは高じれば高じるほど、外の世界の人にはわけのわからないものになるのだが、『フライの雑誌』は書き手の熱量がすごくて理解できなくても読んでしまう。

《政治家がいい例だが、数字をぶら下げて自分を大きく見せようと考える人間にろくなのはいない。
 釣り人だって、他人との比較で釣った魚のサイズとか匹数とかの数字にこだわりすぎると、まるで営業しているみたいで、だんだ気持ちがざらついてくるのではないか》

 編集発行人の堀内さんの言葉。いつもドキっとすることを書く人だ。
 この数字ハッタリというのは古本の世界でもある。
 わたしもたまにつかう。「蔵書は何冊ありますか」「数えたことはないけど、五桁はあるかなあ」みたいなかんじで。でも「数じゃないんだよなあ」とよくおもう。

 話はそれたが、わたしはこの号で「永井龍男のハゼ釣り」というエッセイを書いた。永井龍男の兄、永井二郎は中央線文士の溜まり場だったピノチオの店主だが、その前は魚藍堂という釣具店を営んでいた。
 永井龍男の著作はたくさんあるけど、永井二郎に関する記述は(わたしの調べ方が足りないせいもあるが)あまり見かけない。
 そのときどきの興味で読み散らかしてきた本が自分の予想外のところで連鎖する。

 わたしは二十代のころから永井龍男の短篇や随筆が好きだった。まさか将来、釣りの雑誌に永井龍男の話を書くことになるとは予想していなかった。しかも永井龍男がハゼ釣りをしていた場所が三重県の東海道筋の“宿場町”なのだ。

 文学にしろ釣りにしろ街道にしろ、掘り下げていけば、どこで何かとつながる。