この数日、ブログを投稿しようとしても「読込中…」の表示が出たまま動かなかった。原因不明。
この連休は読書野球掃除酒の日々。山浦正昭著『「歩き」の文化論』(経済界、一九八六年)が令和初読書。
《「歩くことは遅れたものである」というイメージこそ、もっとも遅れた人(国)の考え方であり、「歩くことをどう文明に組み入れるか」といったイメージを持つ人こそ、これからの文明をつくっていける人たちだと思う》
八〇年代半ばに出た本だけど、これからの世の中は「徒歩」の文化が重要になるだろう。歩いて暮らせる町——だけでなく、町と町を歩いて行き来できるような社会になってほしい。
二日、横浜の保土ケ谷へ。保土ケ谷は東海道の宿場町。今年に入って神奈川宿、保土ケ谷宿は何度か歩いていた。ほどよい距離で見所がたくさんある。
今回はJRの保土ケ谷駅から相鉄線の天王町駅方面に歩いて、松原商店街に行った。商店街内はカートで移動できる(商店街は旧東海道とも重なっている)。
ある東海道関係の本を読んでいたら、神奈川宿あたりの東海道について「街道の名残りがない」といったかんじの記述があった。
著者は旧東海道ではなく、第一京浜(だけ)を歩いている。神奈川宿界隈の旧東海道は史跡だらけで前に進むのに苦労するくらいなのだ(幕末から明治にかけて諸外国の領事館だった寺社があちこちにある)。わたしもこういうおもいこみの失敗はよくやってしまうので気をつけたい。
今、神奈川宿や保土ケ谷宿の町中には宿場関係の案内板などがたくさん出ている。
昭和期は道幅の狭い街道は、どんどん拡張され、石碑、常夜燈、一里塚は消えていった。
昭和に失われつつあった街道文化が、平成(二〇〇〇年代)になって保全や修復の動きが出てきた。神奈川宿の案内板や地図なども二〇〇〇年代に作られたものが多い。
八王子道の追分から江戸以前の東海道もすこし歩いた。八王子と横浜を結ぶ道は「絹」の道だった。
そのあと横浜駅に出て、地下街(ジョイナス)を散策する。横浜駅の工事はいつまで続くのか。
翌日はJRの東神奈川駅から東急東横線の白楽駅まで歩いた(けっこう近い)。イオンスタイル東神奈川(すこし前まではサティだった)で夏用の長袖シャツを買う。
数年前まで、中野から阿佐ケ谷にかけて、おっさん向けの衣類が(安く)買える店が何軒かあったのだが、どんどんなくなっている。服(靴下や下着も)は旅先で買うことが増えた。
白楽は六角橋商店街がある。この商店街も活気がある。ごちゃごちゃした小さな路地が残っているのもいい。古本屋もある。
六角橋は旧綱島街道で、この街道も今年に入ってからすこしずつ歩いている。階段を登り、篠原園地にも寄る。横浜は坂が多い。
神奈川県も面白い街道がたくさんある県だ。
活気のある商店街とシャッター商店街は、どこで差がついてしまうのか。
帰り、久しぶりに東急東横線に乗り、渋谷駅へ。JRへの乗り換えが面倒くさい。改修工事によって前より不便になった。