日曜日、ようやくコタツ布団をしまう。今日はすでに暑い。室温は二十五度。仕事の合間、掃除をしなら、旅行の計画を立てる。時間があっという間にすぎてゆく。最近、TVのニュースをあまり観なくなった。
四十代もあと半年ちょっとで終わる。もうすぐ五十歳。生まれ育ちその他、自分のおもい通りにならない部分はさておき、どうにかこうにか生きてきた。ふとした瞬間、「あと何年くらい仕事をするのだろう」と考えてしまう。自分のピークは過ぎてしまったとよくおもう。ただ、そこから先の手立てはないわけではない。
あるていど手間暇をかける部分を絞る。体調管理(とくに休息)は四十代よりも五十代のほうが切実な課題になるだろう。
気力さえあれば何とかなるのは三十代後半くらいまでだ。今は気力で乗りきった後、その反動がきつい。
わたしは水木しげるの「睡眠至上主義」の信奉者なのだが、四十代以降、寝ても疲れがとれない日が増える。そういう日は無理せず、のんびりしたい。しかし、のんびりしていると、焦りが生じてしまう。
焦りは自分の頭が作り出している。だから切り離すこともできる——これはわたしがスポーツ心理学で学んだもっとも有益な知識のひとつだ。焦りの大半は「勝手に不安になっているだけ」なのだ。
二軍から一軍に上がってきた選手が、フォームを崩してしまうことはよくある。実績のある選手とちがい、与えられるチャンスは限られている。
結果を出すことにとらわれ、ぎこちないフォームでボールに当てにいく。そうこうするうちにフォームを崩してしまい、再び二軍に戻る。
ヒットを打ちたい。ホームランを打ちたい。打点を上げたい。しかし相手もプロだから、そう簡単には打たせてくれない。いい当たりが好守に阻まれてしまうこともよくある。
打者であれば、いかに迷いのないスイングをするか。そのことに専念するのがいちばんいいのではないか……というのは、野球の素人の意見ですけどね。
若いライターもかならずといっていいくらいそういう壁にぶつかる。わたしもぶつかった。ぶつかりまくっていた。別にお金にならなくてもいいから、ずっと取り組みたいとおもえることがあれば、ちょっとくらいの足踏み状態は気にならなくなる。
時間をかけた小さな積み重ねがものをいう。そのことにもっと早く気づきたかった。